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廊坊事件 : ミニ英和和英辞書
廊坊事件[ろうぼうじけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事件 : [じけん]
 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal 
: [くだん, けん]
 【名詞】 1. matter 2. case 3. item 

廊坊事件 : ウィキペディア日本語版
廊坊事件[ろうぼうじけん]

廊坊事件(ろうぼうじけん)は、1937年昭和12年)7月25日から26日中華民国の北平(北京市)近郊の廊坊にある廊坊駅(現在の廊坊北駅)で発生した日中間の武力衝突。郎坊事件と表記される場合もある。
== 位置付け ==
7月7日夜の盧溝橋事件勃発後、現地停戦協定が結ばれたものの国民革命軍第二十九軍の部隊は7月13日に大紅門で日本軍トラックを爆破して4名を殺害し(大紅門事件)。〔日中戦争の展開塘沽停戦協定からトラウトマン工作まで 岩谷將防衛研究所主任研究官〕
7月14日には日本軍騎兵を惨殺した。〔日中戦争の展開塘沽停戦協定からトラウトマン工作まで 岩谷將防衛研究所主任研究官〕
7月20日には盧溝橋城から日本軍に射撃を加え、同時に八宝山方面にあった部隊の一部も日本軍を攻撃したため日本軍も応戦するという事件を起こしていた〔防衛研修所戦史室、「戦史叢書86『支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』」、朝雲新聞社、1975年、pp.207-208〕。廊坊事件が起きたことから7月26日日本軍支那駐屯軍司令官は日本陸軍参謀総長から武力行使容認の許可を受け〔日置 2005, p.13〕〔防衛研修所戦史室、「戦史叢書86『支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』」、朝雲新聞社、1975年、pp.214-215〕、盧溝橋と八宝山の部隊については27日正午、北平城内兵と西苑部隊については28日正午を期限とする退去勧告を二十九軍に出した〔陸軍省新聞班 1937 pp.5-6〕。
しかし、北平の広安門において中国側が広安門事件を起こすと日本軍支那駐屯軍は退去勧告を取り消し、改めて冀察政務委員会委員長であり、二十九軍軍長でもあった宋哲元に対し、日本軍の軍事行使の宣言と北平城内の戦禍を避けるために中国側が全ての軍隊を城内から撤退させることを勧告し〔陸軍省新聞班 1937 p.6〕、28日早朝から北平・天津地方の中国軍に攻撃を加える為、必要な部署を用意し、広報としては河北の民衆を敵視するものではなく、列国の権益とその居留民の生命財産と安全を図り、中国北部の獲得の意図がないことを布告したが、これと同じ内容は内閣書記官長談としても発表された〔陸軍省新聞班 1937 pp.7-8〕。駐屯軍は28日から北平周辺の中国軍に対し攻撃を開始し、天津方面では28日夜半から中国軍の攻撃が開始され、各方面で日本軍が勝利し2日間で中国軍の掃蕩が完了した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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