翻訳と辞書
Words near each other
・ 庵戸神社
・ 庵治
・ 庵治村
・ 庵治町
・ 庵治町 (曖昧さ回避)
・ 庵点
・ 庵田定夏
・ 庵谷デビルマン鷹史
・ 庵谷発電所
・ 庵谷行亨
庵谷鷹志
・ 庵逧由香
・ 庵野
・ 庵野秀明
・ 庵野秀明 (小惑星)
・ 庶
・ 庶ゲツ党
・ 庶事
・ 庶人
・ 庶人三台


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

庵谷鷹志 : ミニ英和和英辞書
庵谷鷹志[いおたに]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いおり]
 【名詞】 1. hermitage 2. retreat 
: [たか]
 【名詞】 1. falcon (Falconidae family) 2. hawk 
: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 

庵谷鷹志 : ウィキペディア日本語版
庵谷鷹志[いおたに]

庵谷“出美流漫” 鷹志(いおたに“でびるまん”たかし、1973年1月1日 - )は、日本男性キックボクサー総合格闘家。伊原道場所属の選手として新日本キックボクシング協会の興行で活躍。Existing Break主催兼所属。「自分にとってKO以外は勝利ではない!」と公言しており、勝利は全てKO(19勝19KO)に拘ることで知られる。キックボクシングだけでなく、総合格闘技の経験もある。
== 来歴 ==
最初はシュートボクシングに所属。後にJ-NETWORKへ移籍。シュートボクシングとの移籍トラブルに発展し、日本で約4年間、試合が出来なくなってしまった。
2000年12月10日、新日本キックボクシング協会移籍初戦で米田克盛の弟・頼信と対戦し、3ダウンを奪いKO勝ちを収めた〔00.12.10 新日本キック --- 全試合結果 BoutReview 2000年12月10日〕〔本物はどっちだ?!ラジャ王者二人の競演! BoutReview 2001年2月9日〕。
2001年3月31日、新日本キックボクシング協会・日本ウェルター級王座決定戦で米田克盛と対戦し、0-3の判定負けで王座獲得はならなかった〔01.3.31 新日本キック 東京・後楽園ホール (6) BoutReview 2001年3月31日〕。
2001年10月28日、新日本キックボクシング協会で頼信と再戦し、TKO勝ちを収めた〔新日本キック10.28後楽園大会・写真 BoutReview 2001年10月28日〕。
2002年1月27日、新日本キックボクシング協会で鷹山真吾と対戦し、0-3の判定負けを喫した(鷹山4.8kg計量オーバー)〔[新日本キック] 武田幸三再出発のKO勝利/1.27後楽園 BoutReview 2002年1月27日〕。
2002年10月20日、新日本キックボクシング協会でメッケンナー・ソーキングスターと対戦し、KO勝ちを収めた。当初は鷹山真吾と再戦予定であったが、鷹山の8kg以上の体重超過、負傷欠場により、試合当日に対戦相手が急遽変更となった〔[新日本キック] 10.20 後楽園:松本哉朗、タイ王者に幻の勝利 BoutReview 2002年11月27日〕。
2003年1月26日、新日本キックボクシング協会・日本ウェルター級王者北沢勝に挑戦し、パンチ連打によるKO負けを喫し王座獲得はならなかった〔
視野が狭まる等の網膜剥離の自覚症状が有った為、試合後引退表明。
即入院→手術。
[新日本キック] 1.26 後楽園:武田、K-1一ヶ月前に緊迫の打撃戦 BoutReview 2003年1月26日〕。
2005年1月16日、キングダム・エルガイツ「入江祭り2005」で大櫃達也とキングダム特別ルール(総合格闘技パウンド有りルール)で対戦し、ドローとなった。
2009年9月13日、リングネームを「庵谷デビルマン鷹志」として、「新☆四角いジャングル 〜ミスター格闘技降臨!!〜」に5年振りに復帰出場。
相良正幸(拳月)にTKO負けを喫した〔「新☆四角いジャングル~ミスター格闘技降臨!!」全試合結果 アールズ・エンタープライズ 2009年9月15日〕。
2010年3月、キックボクシングイベント「KICK the ROOTS」を我龍真吾、Masaru、紅闘志也と共に旗揚げすることを発表〔[キック] 我龍・Masaru・紅・庵谷が「KICK the ROOTS」旗揚げ BoutReview 2010年3月18日〕。4月17日、旗揚げ興行に「庵谷“出美流漫”鷹志」として参戦。
SHOHEIから3ノックダウンを奪いTKO勝利を収めた〔【ルーツ】我龍真吾らによる新イベントがスタート!メインは銀次郎がゲンナロンに敗れる 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年4月17日〕。
2010年6月13日、KICK the ROOTSのWMF世界スーパーミドル級王座決定戦で再びSHOHEIと対戦。
2度のダウンを奪われた後に、カウント中SHOHEIがレフリーの制止を押しのけての反則攻撃。
庵谷が試合続行不可能となった為ノーコンテストとなり〔[KICK the ROOTS] 安東辰也、Masaruに判定勝ち:6.13 宇都宮 BoutReview 2010年6月13日〕、6月17日に行なわれた検証の結果「主催者預かり試合」として再戦が行われることが決定した〔[KICK the ROOTS] 庵谷×SHOHEIは「主催者預かり試合」に BoutReview 2010年6月23日〕。
2010年10月2日、「新☆四角いジャングル」でUKFキックボクシングインターナショナルスーパーミドル級王座決定戦として、バリー・ゲリン(USA)と対戦。
1Rで3ノックダウンを奪いTKO勝利、王者となった〔【四角いジャングル】日本キック最年少王者が誕生!14歳3カ月の大田原兄が快挙 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月2日〕。
2010年12月23日、KICK the ROOTS 〜宇都宮キックボクシング2〜で6月に「主催者預かり試合」となっていたWMF世界スーパーミドル級王座決定戦でSHOHEIと対戦し、0-3の判定負け。
試合後のリング上で引退を示唆した〔【キック・ザ・ルーツ】「相撲は強いんだよ!」元力士対決で戦闘竜が若翔洋から圧勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月23日〕。
2012年7月7日、約2年振りに再度復帰を決意。
TRIBELATEライトヘビー級王座決定戦に挑むも、判定負け。
2012年11月10日、TRIBELATEスーパーミドル級王座決定戦に出場し、1RTKOにより王座獲得。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「庵谷鷹志」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.