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床次正精 : ミニ英和和英辞書
床次正精[とこなみ まさよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [せい]
 【名詞】 1. spirit 

床次正精 : ウィキペディア日本語版
床次正精[とこなみ まさよし]

床次 正精(とこなみ まさよし、画家としての読みは「とこなみ せいせい」、1842年天保13年) - 1897年明治30年)10月21日)は日本の検事判事洋画家。息子に床次竹二郎がいる。
==生涯==

1842年(天保13年)薩摩藩士児玉家の三男児玉宗次郎実富として生まれ1860年(万延元年)床次家の養子となり床次家を継ぐ。通称は正蔵。島津久光の次男島津久治の小納戸役を務める。床次家は本性は紀氏で武内宿禰の流れをくむ家系と称し源頼朝のころに大隅国に入り後、島津家の家臣になり鹿児島に移ったとされている〔所崎2011、家系図。〕〔安藤1983、17-22頁。〕。
床次は剣を新陰流に学び薩摩藩内では剣名は高かったと言われている〔百万塔1968、41-42頁。〕。また、7歳で日本画(狩野派)の能勢一清の弟子になり日本画を学び始めている〔井上1915、102頁。〕。床次は洋画家として知られるが、日本画も職業にできるほどの腕前だったと言われる〔。
幕末、島津久光の命で長崎に赴きイギリス軍艦の視察をする。薩摩藩は薩英戦争でイギリス艦の力を思い知ったためである。このとき乗ったイギリス軍艦で見た油絵の写実性に床次は驚き、以降独学で洋画を学ぶ〔黒田1906、34-37頁。黒田記念館・故床次正精君 〕〔 朝日1994、1150頁。〕〔新潮1991、1201頁。〕(後に一時、仙台で梶原昇に油絵を習うが、梶原昇の技法も大したことはなく、事実上独学)〔。
明治維新後1872年(明治5年)には司法省に入り検事補、1877年(明治10年)宮城県上等裁判所検事、1878年(明治11年)東京地方裁判所検事を歴任。1877年(明治10年)西南戦争が起きた際には宮城県上等裁判所検事として仙台に赴任していたが、西郷軍に参加しようと仙台を発つ。しかし床次が東京まで来た時に西郷がすでに敗れ城山に追いつめられている状況が伝わり西郷軍に加わることは断念し仙台に戻る〔〔〔〔。1879年(明治12年)来日中のグラント将軍(前アメリカ大統領)像を画いたことが新聞に載り画家として知られる〔。1880年(明治13年)裁判所を辞め画業に専念する〔〔。
知られているところでは1877年(明治10年)松島の絵を2点画き、1点を宮中に献上し、1879年(明治12年)グラント将軍像、1880年(明治13年)三田製紙所の図、1881年(明治14年)伊藤博文像、1882年(明治15年)勅命で日光名勝図、1887年(明治20年)西郷南洲像、1890年(明治23年)帝国憲法発布の式場・祝宴図など8画を画く〔〔〔河北1989、241-242頁。〕。
絵を画きながらも1882年(明治15年)官職に復帰し宮内省御用掛、1884年(明治17年)農商務省御用掛、1889年(明治22年)以降はまた司法省に戻って検事・判事を務める〔〔多摩霊園・床次正精 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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