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平沼騏一郎内閣 : ミニ英和和英辞書
平沼騏一郎内閣[ひらぬま きいちろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [ぬま]
  1. (n,n-suf) swamp 2. bog 3. pond 4. lake 
: [いち]
  1. (num) one 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
内閣 : [ないかく]
 【名詞】 1. cabinet 2. (government) ministry 

平沼騏一郎内閣 ( リダイレクト:平沼内閣 ) : ウィキペディア日本語版
平沼内閣[ひらぬまないかく]
前の第1次近衛内閣の崩壊を受けて、枢密院議長の平沼騏一郎が組閣した。共産主義に対抗する枢軸としてドイツとの関係強化をしようとしていたが、昭和14年(1939年)8月23日ドイツナチス・ドイツ)が突然ソビエト連邦独ソ不可侵条約を締結したことを受けて平沼首相は8月28日にいわゆる「複雑怪奇」声明を残して内閣総辞職した〔。

==総辞職==
1939年8月28日に平沼内閣は総辞職
というような談話を発表した〔安部博純 ファシズム外交の論理と国際認識:日本外交の国際認識 その史的展開 国際政治 (51), 109-128, 1974 〕〔平沼内閣けさ総辞職外交新発足の必要痛感(辞表奉呈後首相声明)新聞記事文庫 政治(59-069)大阪朝日新聞 1939.8.29(昭和14) 〕〔「今回締結せられた独ソ不可侵条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み、従来準備来った政策はこれを打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至った」
この声明に「複雑怪奇」という表現にあるように、日本の支配者が国際情勢を判断する力を失い、自主的な外交政策を立てられなくなっていたことの証明である(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 172ページ)〕。
この談話は当時の日本外交の国際認識の欠如を象徴的に示している〔。当時の読売新聞社説は「外交政策を樹直さねばならなくなった点につき責任をとったもの」と見なし、「ドイツの不信行為」に対応するため「国内の体制を一新」することが必要であり、近衛内閣の大部分が留任していた平沼内閣が解散することはやむを得なかったと評した〔平沼内閣の総辞職 社説 新聞記事文庫 政治(59-072)読売新聞 1939.8.29(昭和14) 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平沼内閣」の詳細全文を読む




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