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平仲信敏 : ミニ英和和英辞書
平仲信敏[ひらなか のぶとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [なか]
 【名詞】 1. relation 2. relationship 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

平仲信敏 : ウィキペディア日本語版
平仲信敏[ひらなか のぶとし]

平仲 信敏(ひらなか のぶとし、1968年9月13日 - 2000年3月24日)は、日本プロボクサー沖縄県島尻郡具志頭村(現・八重瀬町)出身。元日本フェザー級王者。
5人兄弟の末っ子であり、元WBA世界スーパーライト級王者の平仲明信は兄。ボクシングエリートである明信に対し、「尊敬する一方、コンプレックスを持っていた」という。
== 来歴 ==
中学3年時にボクシングを始め、沖縄・南部農林高3年時にインターハイフェザー級でベスト8。高校卒業後に海邦国体の団体戦としては最終年の国民体育大会ボクシング競技で決勝戦で沖縄県代表チームとして山梨県代表チームに敗北し準優勝も自身はフェザー級で相手選手にRSC勝、アマチュア通算45勝(37KO・RSC)5敗。
1988年4月24日、沖縄ボクシングジムからプロデビュー。
1989年2月27日、全日本新人王決定戦でフェザー級西軍代表として東軍代表の渡辺司に判定勝。
1993年に故郷・沖縄を離れ福岡県の筑豊ジムに移籍。
1994年1月25日、日本王座初挑戦。世界挑戦経験も有する日本フェザー級王者松本好二ヨネクラ)と対戦し、10回判定勝ち(3-0)。13戦目で日本王者となった。同王座は2度防衛後、世界挑戦準備のため返上。
1995年8月13日、無敗のまま16戦目で世界初挑戦。WBA世界フェザー級王者エロイ・ロハス(ベネズエラ/帝拳プロモーションマネージメント契約選手)に挑み、ダウンを奪うも、12回判定負け(0-3)で王座獲得ならず、プロ初黒星を喫した。
1996年11月2日、世界再挑戦。WBC世界フェザー級王者ルイシト小泉(フィリピン/アベ)に挑戦。7回までのフルラウンドでポイントを取られる差を付けられ、8回TKO負け。またしても世界王座獲得ならず。
1997年、故郷・沖縄に戻り、沖縄ワールドリングジムに移籍。
1998年3月2日、OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者三谷大和三迫)に挑戦するが、12回判定負け(0-3)で王座獲得ならず。
1998年10月3日、東洋太平洋王座再挑戦。6月に三谷を破ってOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座を獲得した長嶋健吾(18古河ジム)に挑むが、ここでも12回判定負け(0-3)を喫し、またも王座獲得ならず。
1999年3月8日、日本スーパーフェザー級王者コウジ有沢草加有沢)に挑戦し、10回判定負け(0-3)。9か月後の12月13日、有沢に再挑戦したが、4回TKOで返り討ち。この試合が結果的に最後の試合となった。
2000年3月23日、沖縄県浦添市を車で走行中に事故を起こし、翌3月24日に脳挫傷により死去。。
生涯戦績は18勝(11KO)6敗1分

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平仲信敏」の詳細全文を読む




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