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布谷文夫 : ミニ英和和英辞書
布谷文夫[ぬのや ふみお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぬの]
 【名詞】 1. cloth 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

布谷文夫 : ウィキペディア日本語版
布谷文夫[ぬのや ふみお]
布谷 文夫(ぬのや・ふみお、1947年1月25日 - 2012年1月15日)は、日本ロックシンガー
== 経歴・人物 ==
1947年1月25日北海道函館市出身。専修大学経営学部在学中の1966年に友人と東京R&B5を結成し、音楽活動を始める。東京R&B5は翌年の1967年に解散するが、その後、大瀧詠一洪栄龍らと共に『タブー』というバンドを結成。
1968年にザ・ジャガーズの弟分バンドだったビッキーズに参加、『東京R&B天国』(東京12チャンネル)の「R&B天国アマチュアバンドコーナー」に出演して5週連続勝ち抜きを果たす。この番組の賞品がサーフボードであったが、本人はサーフィンをやらなかった為、人に譲渡したという。ビッキーズはメンバー交代を経てブルース・クリエイションに。
1969年に竹田和夫田代信一野地義行らと『ブルース・クリエイション』同年7月に日本グラモフォンポリドール・レコード)よりアルバム『BLUES CREATION』を発表。9月には第1回の日本ロック・フェスティバルに出場した。
1970年にブルース・クリエイションを脱退、洪栄龍、内藤正美らと『DEW』結成。第3回全日本フォークジャンボリーに出場するなど精力的な音楽活動を展開するが、わずか2年でDEWを解散し、1972年にソロシンガーに転向した。
ソロ転向後、1972年8月にビクターレコード(ビクター・ポップ)より『空のベッドのブルース』を発表。1973年5月の第3回春一番ライブ(大阪天王寺公園野外音楽堂)に、ごまのはえ(伊藤銀次が所属していたバンド)と共に出演している。
1975年〜1976年にかけて一時活動を中止した時期があったが、1976年2月に大瀧詠一プロデュースによる『ナイアガラ音頭』(クレジットは“布谷文夫 with ナイアガラ社中”名義)を 日本コロムビアより発表。その後もマイペースでの音楽活動を続けていた。
2012年1月15日、脳出血により茨城県牛久市内の病院にて永眠。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「布谷文夫」の詳細全文を読む




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