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川崎大治 : ミニ英和和英辞書
川崎大治[かわさき だいじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)

川崎大治 : ウィキペディア日本語版
川崎大治[かわさき だいじ]

川崎 大治(かわさき だいじ(たいじ)、本名:池田 政一(いけだ まさかず)〔『日本児童文学体系30』 p.602〕、1902年3月29日 - 1980年8月8日)は、日本の児童文学作家プロレタリア児童文学の運動にも関わった〔『日本児童文学体系30』 p.536〕。
== 略歴 ==

北海道札幌市で生まれた。幼少期は巌谷小波に関心をもち、図書館に通って巌谷の本を二百冊以上読んでいた〔。1919年に中学校を卒業後に上京、巌谷小波のもとを訪ねて師事。早稲田第二高等学院を経て早稲田大学文学部英文学科卒業。在学中に大杉栄の全集を読んで影響を受け、早大童話会にも所属していた。また巌谷の翻訳業の下請けをして学費や生活費を稼いでいた〔『日本児童文学体系30』 p.603〕。
1926年に早稲田大学を卒業後、東京大学文学部の聴講生として通い、サンスクリット語などを学んだ。1929年に新興童話作家連盟に加入、童謡などを発表した。
1930年に、日本プロレタリア作家同盟に加入、『戦旗』などに作品を発表した。また1931年に、槇本楠郎との共著で『小さい同志』を刊行。直ちに発売禁止となった。1933年に検挙され、留置場生活を送ったが、同年中に釈放。なお、留置場生活中に巌谷小波の死を知ることとなった〔『日本児童文学体系30』 p.604〕。
1935年童話作家協会に加入。『文学評論』などに作品を発表していた。1937年に結婚し、1942年に長男が誕生、つづく1943年に次男が誕生〔『日本児童文学体系30』 p.607〕。戦時中は一時東京都西多摩郡に疎開していたが、1952年から再び一家揃っての生活を送った。戦後、日本児童文学者協会の設立に関わり、後年同協会の会長も務めた。
1962年、東京家政大学の講師となり、翌年教授に就任。このころから民話の研究なども進め、各地の民話を収集した。
1976年に脳内出血で入院し、年末に退院〔『日本児童文学体系30』 p.613〕。1980年8月8日、死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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