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島津久逸 : ミニ英和和英辞書
島津久逸[しまづ ひさやす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 

島津久逸 : ウィキペディア日本語版
島津久逸[しまづ ひさやす]
島津 久逸(しまづ ひさやす、嘉吉元年(1441年) - 明応9年11月11日1500年12月2日))は、室町時代後期の薩摩国武将島津氏伊作家第8代当主。伊作久逸(いさくひさいつ)ともいう。
== 生涯 ==
嘉吉元年(1441年)、島津氏第9代当主・島津忠国の三男として誕生。
長禄2年(1458年)、島津氏の分家である伊作家の第7代当主・犬安丸が幼くして急死したため、跡を継いだ。この伊作家は、鎌倉時代の早い時期に分家し本家とは遠い関係にあったため、一族ながら家臣格の家柄であった。
文明5年(1473年)、薩摩守護である島津氏第10代当主・島津立久の命で日向国櫛間にて伊東氏に備えていた。ところが、対立する有力分家の新納氏は、立久の死後、本家を継いだ11代当主・忠昌に久逸を伊作へ還すように願い出て、忠昌はこれを聞き入れた。これに久逸は反発し、日向国の伊東氏豊後国大友氏に助力を請い、新納氏の飫肥城を攻撃、忠昌に叛旗を翻した。久逸ら連合軍は、忠昌の居城・鹿児島清水城に迫り、忠昌は妻子を伊集院一宇治城に避難させるまでになった。しかし、文明16年(1484年)、忠昌は分家である相州家島津友久薩州家島津国久ら近い島津一族を率いて伊作家の討伐に出陣する。末吉で敗れた久逸は櫛間に退却、同年降伏し、伊作へ戻ることとなった。
その後、明応3年(1494年)に嫡子の伊作善久(島津善久)が下男により殺害されるという事件が起こった。久逸自身も島津氏薩州家の内紛に巻き込まれ、明応9年(1500年)に薩州家の島津忠興に攻められ戦死した。享年60。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「島津久逸」の詳細全文を読む




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