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峠三吉 : ミニ英和和英辞書
峠三吉[とうげ さんきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とうげ]
  1. (n,n-suf) ridge 2. (mountain) pass 3. difficult part 
: [み]
  1. (num) three 

峠三吉 : ウィキペディア日本語版
峠三吉[とうげ さんきち]
峠 三吉(とうげ さんきち。1917年(大正6年)2月19日 - 1953年(昭和28年)3月10日)は、詩人。本名は、三吉(みつよし)。日本共産党党員であった。
== 生涯 ==
父・嘉一はタイル製造などを手がける実業家で、三吉は父の勤務地大阪府豊能郡(現在の豊中市)に生まれ、生後まもなく家族とともに父の故郷広島市に転居した。幼い頃から気管支の病気に苦しめられしばしば喀血、広島商業学校(現在の広島県立広島商業高校)在学時から詩作にいそしんだが、卒業後は長期の療養生活を余儀なくされ、この病気は三吉を生涯苦しめることとなった。
さらに1945年(昭和20年)8月6日爆心地より3kmの広島市翠町(現在の南区翠町)で被爆
敗戦後は広島を拠点とする地域文化運動で中心的な役割を果たし、広島青年文化連盟委員長に就任した。広島県庁での勤務や雑誌『ひろしま』編集のかたわら、1951年(昭和26年)には「にんげんをかえせ」で始まる『原爆詩集』を自費出版、原爆被害を告発しその体験を広めた。この自費出版版の表紙と挿画は四國五郎が描いた。
1952年(昭和27年)3月、新日本文学会全国大会出席のため上京の途上で大喀血し、静岡赤十字病院に入院。その後は再び精力的に活動に奔走する日々を送る。
1953年(昭和28年)2月、創作活動・社会活動に耐えうる健康な身体を確実にするため、持病(気管支拡張症)の本格的治療を決意し、国立広島療養所〔現・国立病院機構東広島医療センター〕 に入院。肺葉切除手術を受けたが術中に病状が悪化、14時間の苦闘のすえ手術台上で死没した。 。被爆から8年後のことだった。
峠の詩は、死後50年が経過し、著作権の有効期限が失効している。そのため様々な平和教材に引用されたり、ネット上で閲覧する事ができる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「峠三吉」の詳細全文を読む




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