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山浦玄蕃 : ミニ英和和英辞書
山浦玄蕃[やま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [うら]
 【名詞】 1. inlet 

山浦玄蕃 ( リダイレクト:山浦光則 ) : ウィキペディア日本語版
山浦光則[やまうら みつのり]

山浦 光則(やまうら みつのり)は、江戸時代前期の公卿米沢藩士。日本史上唯一のキリシタン公卿の殉教者である。猪熊季光四辻家出身。上杉定勝生母で上杉景勝側室四辻氏の兄弟)の次男。
キリシタンであった光則は寛永11年(1635年)、迫害を避けて妻子と共に京都から逃れ、従兄の定勝を頼って米沢へ身を寄せた。これは上に挙げた父方の血縁と同時に、米沢藩におけるキリシタン弾圧が景勝時代から、他藩と比べて緩いものだったことが起因であると言われる。
定勝の計らいにより、光則は山浦景国の跡を受けて上杉家一門の山浦上杉家を継ぎ、身柄を安堵された。しかし定勝の死後、幕府の厳命を受けた上杉綱勝によって、承応2年12月に伯母・四辻氏が葬られている米沢極楽寺境内で斬首された。遺体は四辻氏の墓の隣に葬られたといわれる。
光則の妻子は免罪され、息子2人は僧侶(長男はのちに法音寺9世、能範法印)となり、娘3人(長女は夭折)のうち次女は綱勝生母生善院近衛家家司斉藤本盛娘)の侍女を経て侍組平林正信平林正恒嫡孫)に、三女は米沢長命寺(浄土真宗)住職にそれぞれ嫁いだ。
現在、四辻氏の墓とされている上杉家側室の墓の側に、光則の供養塔が建立されている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山浦光則」の詳細全文を読む




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