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山本禾太郎 : ミニ英和和英辞書
山本禾太郎[やまもと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

山本禾太郎 : ウィキペディア日本語版
山本禾太郎[やまもと]

山本 禾太郎(やまもと のぎたろう、1889年2月28日 - 1951年3月16日)は、日本推理作家。本名、山本 種太郎(やまもと たねたろう)。
== 生涯 ==
山本種太郎は、1889年明治22年)2月28日に兵庫県神戸市で生まれた〔横井 (2006a) 372頁〕。小学校卒業後はすぐに海洋測器製作所の支配人に就いたとする資料もあるが、製作所支配人となったのは戦後のことで、小学校卒業後は丁稚奉公・工員・裁判所書記官など様々な職に就いたとする資料も存在する〔。浪曲師一座に顧問として入り、各地を放浪したこともあったという〔横井 (2006a) 373頁〕。
1926年大正15年)に行われた『新青年』誌の懸賞小説に「窓」で2等入賞(夢野久作の「あやかしの鼓」と同位で、1等は受賞作なし)したことにより、山本種太郎は山本禾太郎として作家デビューを果たした(筆名は本名の「種太郎」から「重」を落としたもの)〔。しかし、この時期の山本は『新青年』と『探偵趣味』に数年かけて数本の短編を寄せるのみ、と寡作であった〔。1929年昭和4年)から1年の休筆を挟んで1931年(昭和6年)から関西の探偵雑誌『猟奇』で活動を再開し、翌1932年(昭和7年)には代表作『小笛事件』(原題『頸の索溝』)の連載を、『神戸新聞』と『京都日日新聞』の紙上で半年に渡って行った〔横井 (2006a) 374-376頁〕。
1933年(昭和8年)5月に『ぷろふいる』が創刊されるとそこに加わったが、1935年(昭和10年)に第二の代表作「抱茗荷の説」発表後に『ぷろふいる』は休刊し、1938年(昭和13年)を境に山本は再び筆を断った〔。一方、1940年(昭和15年)には築地小劇場で作品を上映するなど、演劇への関心も示していた〔権田 (1992) 152頁〕。終戦後の1946年(昭和21年)に『ぷろふいる』が復刊されたことを契機に活動を再開するも、同誌は直後に廃刊した〔。山本は翌1947年(昭和22年)後半に『神港夕刊』で長編2作目『消える女』を連載したが、結局はこれを最後に創作は途絶えた〔。その後、関西探偵作家クラブの副会長を務めもしたが、1951年(昭和26年)3月16日に神戸市長田区の自宅で没した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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