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山川健次郎 : ミニ英和和英辞書
山川健次郎[やまかわ けんじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山川 : [やまかわ, やまがわ]
 (n) mountain rivers
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

山川健次郎 : ウィキペディア日本語版
山川健次郎[やまかわ けんじろう]

山川 健次郎(やまかわ けんじろう、安政元年閏7月17日1854年9月9日) - 昭和6年(1931年6月26日)は、日本の教育者。日本初の理学博士位階勲等爵位正二位勲一等男爵枢密顧問官東京帝国大学物理学を教える。東京帝国大学、京都帝国大学総長九州帝国大学の初代総長、私立明治専門学校(現在の九州工業大学)の初代総裁、旧制武蔵高等学校(現在の武蔵大学)の校長などを務める。
== 略伝 ==

* 嘉永7年(1854年) - 会津藩士・山川重固の三男として生まれた。
* 万延元年(1860年) - 父の重固が没し、兄・大蔵(後の山川浩)が家督を継ぐ。
* 明治元年(1868年) - 会津戦争。若松城開城後、猪苗代に謹慎の後、越後に脱走、長州藩士・奥平謙輔の書生となる。
* 明治4年(1871年) - 斗南藩再興のあと、アメリカへの国費留学生に選抜され渡米。
* 明治8年(1875年) - イェール大学物理学学位を取得し帰国。
* 明治9年(1876年) - 東京開成学校(翌年、東京大学に改編)教授補になり、アメリカ人ピーター・ベーダー(ピーテェル・ベダル)の助手を務める。
* 明治12年(1879年) - 日本人として初の物理学教授になる。
* 明治21年(1888年) - 東京大学初の理学博士号を授与された。
* 明治34年(1901年) - 48歳で東京帝国大学総長となる。東京学士会院会員に任命される。
* 明治37年(1904年)8月22日 - 貴族院勅選議員〔「山川先生略年譜 」( 『男爵山川先生伝』 )。〕(-大正12年(1923年)〔「枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 昭和ノ一」。〕)。
* 明治38年(1905年) - 日露戦争後に、政府を非難した教授が処分を受ける事件(戸水事件)が起こり東大総長を辞任。
* 明治40年(1907年) - 安川財閥(安川敬一郎松本健次郎親子)の資金拠出による明治専門学校(現九州工業大学)の設立に協力、初代総裁となる。
* 明治44年(1911年)4月1日 - 九州帝国大学の初代総長となる〔。
* 大正2年(1913年
 * 5月9日 - 再び東京帝国大学の総長となる〔。
 * 6月21日 - 九州帝国大学名誉教授〔。
* 大正3年(1914年)8月19日 - 澤柳事件を承け、京都帝国大学の総長を兼任する(1915年6月15日まで)〔。
* 大正9年(1920年) 東京帝国大学の総長を退任。
* 昭和6年(1931年) 1月16日、化膿性中耳炎のため東京大学病院に入院。治療中の1月23日に胃潰瘍を併発して吐血する。その後中耳炎は治癒したものの胃潰瘍は改善せずに衰弱し、6月半ばからは呼吸困難に陥り、6月26日に池袋の自邸で死去した。戒名は希不踰院殿慎誉平久大居士〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)331-332頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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