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山名豊頼 : ミニ英和和英辞書
山名豊頼[やまな とよより]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [な]
 【名詞】 1. name 2. reputation 

山名豊頼 : ウィキペディア日本語版
山名豊頼[やまな とよより]

山名 豊頼(やまな とよより)は、室町時代後期の武将因幡守護
== 経歴 ==
因幡守護・山名豊時の次男として生まれる。生年は不明、永正8年(1511年)8月24日、船岡山合戦に兄・豊重と共に山名致豊名代として足利義材方に参戦したのが史料上の初見である。
永正9年(1512年)12月、但馬山名誠豊の支援を受けて当時因幡守護であった兄・豊重を布勢天神山城にて殺害、守護職を強奪する形で守護の座に就任する。
推定永正10年(1513年)2月10付『萩藩閥閲録』所収「山名豊頼書状」によれば山名誠豊の意向を備後国人杉原氏に取り次いでいることから、山名致豊との強いつながりがあった兄・豊重と同様に但馬惣領家の強い影響下に置かれていたようである。
しかし、守護職強奪という強引な手法は但馬惣領家の後ろ盾があるとは言え、国内に反守護勢力を助長させる要因となり守護就任直後から、殺害された豊重の遺児・豊治による攻撃が相次いでいる。翌永正10年(1513年)3月29日には布施天馬口合戦、4月26日には布施正木口合戦と守護所である布勢天神山城周辺で合戦が相次いでおり、中枢部に攻め込まれる深刻な事態に発展していたことがわかっている。
そのため守護就任期間は最大で3年程という短期間で終わったとみられ、永正11年(1514年)5月15日、家臣の北川氏国衙公用銭の内30貫文を給付したのが史料上の最後の姿である。豊頼の最期がどうなったのかは史料の乏しさから不明であるが、『伊勢貞助記』などには翌永正12年(1515年)10月16日、伊勢貞助が因幡守護・山名小次郎(豊治)の妹で将軍・足利義材の側室である阿茶局の懐妊を知ったとの記述があるため少なくとも永正12年の夏頃には守護の交代があったと思われる。
なお、史料上における豊頼の最後の活動が確認された1ヵ月後の6月18日には因幡八上郡にある古刹・大安興寺が戦火によって焼失している。このことから豊頼と豊治との間での抗争が因幡国内の広い範囲に拡大していることが分かる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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