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山口芳忠 : ミニ英和和英辞書
山口芳忠[やまぐち よしただ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 

山口芳忠 : ウィキペディア日本語版
山口芳忠[やまぐち よしただ]

山口 芳忠(やまぐち よしただ、1944年9月28日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。藤枝MYFC名誉総監督。選手時代のポジションはディフェンダー。1968年のメキシコオリンピックにおいて日本代表が銅メダルを獲得した時の選手の一人。父親の山口森三藤枝市長を務めた人物である。
== 略歴 ==
静岡県藤枝市出身。藤枝東高校時代はフォワードとしてプレー。日本ユース代表に選出され、1962年、1963年のアジアユース大会に出場した。
中央大学進学後にディフェンダーへ転向。4年次には主将を務め1966年の関東大学リーグ制覇に貢献した。
また大学在学中の1964年に日本代表に選出され10月16日の東京オリンピック1次リーグガーナ戦で国際Aマッチデビュー〔代表デビューは1964年7月31日のウクライナ選抜戦。〕を飾り、これ以降左サイドバックのレギュラーとして定着。1968年のメキシコ五輪銅メダル獲得に貢献したのを始め、1974年に退くまで国際Aマッチ49試合に出場した。堅実で激しいディフェンスで、スッポンの異名で呼ばれた。そのDF能力を買われ1972年5月26日の日本対サントスFC戦では世界的スター選手のペレのマンマークを担当したが、2得点を許し完敗している。
大学卒業後は日立製作所(現在の柏レイソル)に加入。1972年シーズンの日本サッカーリーグ初優勝に貢献するなど、121試合出場15得点の記録を残した。また1968年から7年連続でベストイレブンに選出される等、日本を代表するDFの一人であった。
引退後は指導者としてユニバーシアード代表U-23日本代表など若い世代の指導を長く務め、大学生を中心とした若手で編成された日本代表Bを率いて予選を勝ち抜きAFCアジアカップ1988決勝大会出場や、14年ぶりのマラハリム・カップ優勝などの成果を上げた。1993年に古巣の柏レイソルへ復帰。2000年からは中央大学のサッカー部監督を務めていた。
これらの功績により2007年日本サッカー殿堂入りをした。2014年藤枝MYFC名誉総監督。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山口芳忠」の詳細全文を読む




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