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屋代弘賢 : ミニ英和和英辞書
屋代弘賢[やしろ ひろかた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

屋代弘賢 : ウィキペディア日本語版
屋代弘賢[やしろ ひろかた]
屋代 弘賢(やしろ ひろかた、宝暦8年(1758年) - 天保12年閏1月18日1841年3月10日)は、江戸時代後期の江戸幕府御家人右筆)・国学者。江戸神田明神下の幕臣屋代忠太夫佳房の子。通称は太郎。号は輪池。初名は詮虎。その後、諱を詮賢、弘賢、詮丈の順に改める。

== 経歴 ==
7歳の時から幕府右筆森尹祥に書を学び、安永8年(1779年)22歳で家督を継いだ。天明元年(1781年)西丸台所に出仕した。柴野栗山に従い、天明2年(1782年)に幕府の表右筆として出仕する。天明6年、本丸附書役となる。寛政5年(1793年)、奥右筆所詰支配勘定格となり、文化元年(1804年)3月、勘定格として御目見以上に昇進した。文化2年、ロシアに対する幕府の返書を清書した。
塙保己一国学を学んで『群書類従』の編纂に加わる。後に和学講談所の会頭を務めた。死没時は、奥右筆所詰奥右筆格。有職故実書誌学に優れていた他、仕事柄能書家としても知られていた。幕命によって『寛政重修諸家譜』・『古今要覧稿』・『集古十種』の編纂にも従事した。京都・大和の古社寺を訪れ古宝物の調査をしたときの記録『道の幸』を著している。柴野栗山成島司直小山田与清大田南畝谷文晁らとも親交があった。
また、弘賢は蔵書家としても知られ、上野不忍池のほとりに蔵書5万冊を納めた書庫を築いて「不忍文庫」と命名され、蔵書目録『不忍文庫目録』(朝倉治彦編『屋代弘賢・不忍文庫蔵書目録』全6巻 ゆまに書房、2001年)に出版されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「屋代弘賢」の詳細全文を読む




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