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尾茂田叶 : ミニ英和和英辞書
尾茂田叶[おもだ かの]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

尾茂田叶 : ウィキペディア日本語版
尾茂田叶[おもだ かの]

尾茂田 叶(おもだ かの、1909年10月19日 - 1997年1月7日〔『朝日新聞』1997年1月9日朝刊愛媛版「尾茂田叶氏死去」〕)は、アメリカ合衆国ハワイ準州Territory of Hawaiiホノルル生まれのプロ野球選手〔永田陽一 『ベースボールの社会史』 東方出版 1994年、p251-252〕。ポジションは外野手。アメリカ人日系2世。
== 来歴・人物 ==
12歳の時父の故郷である広島県に引き揚げ、その後母の故郷・愛媛県に移る〔。日本に来てから野球を始めた。松山商業では1928年第5回選抜中等学校野球大会へ出場。1931年の第17回全国中等学校優勝野球大会ではベスト4。その後明治大学を経て、1937年東京セネタース横沢三郎監督に勧誘され入団。1938年秋季リーグで打率.300を打ち、リーグ3位の打率を記録した。1番苅田久徳とのノーサインでのヒットエンドランを得意とした。守備範囲の広い名外野手で、松山商業時代にコーチから受けた砂場の特訓で身に付けた回転捕球法は尾茂田の看板プレーだった〔。1939年に退団し、1940年に召集を受け南方戦線に送られる。戦地で腸チフスを患いながら生き抜き、ニューギニアで終戦を迎える。
終戦後、市岡忠男から巨人に勧誘されたが進駐軍の仕事についていたため断り、母校松山商業や社会人野球丸善石油愛媛相互銀行で監督を務めた。その後、外国人相手に道後温泉ボランティアガイドを務めた〔。1997年、松山市で死去。享年87歳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「尾茂田叶」の詳細全文を読む




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