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翼軍 : ウィキペディア日本語版
翼軍[つばさぐん]

翼軍(つばさぐん)は、からまで5年間活動した日本プロ野球球団の一つであった。
戦後新たに生まれたセネタース(現:北海道日本ハムファイターズ)は翼軍とは直接の系譜はないものの、翼軍出身者がセネタースの創立に関与した。
==球団の歴史==
1936年、日本職業野球連盟結成の中心にいた正力松太郎は、自らオーナーとなった東京巨人軍に対する「首都圏におけるライバル球団」が必要と考えて政治家有馬頼寧を頼み、それを受け西武鉄道(旧社)(現在の西武新宿線を経営していた会社)の後援により「東京セネタース」(とうきょうセネタース、''Tokio Senators''、会社名「東京野球協会」''TOKIO BASEBALL ASSOCIATION'')として設立された。
セネター (''Senator'') とはアメリカ合衆国上院議員を意味する。当時オーナーの有馬は貴族院議員であり、球団社長も有馬の実弟で同じく貴族院議員の安藤信昭が就任した。このことから貴族院が実質的な上院、ということでメジャーリーグベースボールのワシントン・セネタース(現:ミネソタ・ツインズ)に倣ってこの名称が付いたとされる。語呂合わせから、「青踏軍」とも称された〔ライオンズ・クラシック2013 - 埼玉西武ライオンズ公式サイト〕。
本拠地は東京府東京市杉並区〔にあった上井草球場であった。
当時の顔ぶれは横沢三郎(この球団の監督を務めた。)、四郎七郎兄弟や苅田久徳野口明らであった。
1940年10月17日、戦争の影響で球団名は全て日本語に改めるように指示が出されたため、やむなく「翼軍」と改名(この名称は有馬が大政翼賛会の理事をしていた事に因む。)。
球団名を「東京翼軍」とした資料も存在する。
名古屋金鯱軍(現在の中日ドラゴンズとは直接的には無関係)〔中日ドラゴンズの前身は新愛知を経営母体とする名古屋軍だった。但し、名古屋金鯱軍の経営母体だった名古屋新聞が新愛知と合併して中部日本新聞社(現在の中日新聞社)となったことから、中日球団は新愛知系と名古屋新聞系の役員が交互に経営するシステムが取られた。〕と対等合併して「大洋軍」(現在の横浜DeNAベイスターズの前身にあたる大洋ホエールズとは無関係)を結成した。(大洋軍は1943年に「西鉄軍」と改称したが、これも後年の西鉄ライオンズ(発足時は西鉄クリッパース)とは直接の系譜はない。)
戦後のにプロ野球が再開されると、戦前の東京セネタースの主軸を成した横沢兄弟が中心となって改めて「セネタース」が新球団として結成された。しかし、経済的な理由から翌年には「東急フライヤーズ」となり、セネタースの名称は消滅した。その後数度の身売り・改称・移転を経て、2015年現在北海道日本ハムファイターズとして存続している。
2013年7月26日から28日にかけ、埼玉西武ライオンズ主催試合でのイベント『ライオンズ・クラシック2013』において、西武鉄道沿線を本拠地とし、かつ源流企業の一つが経営に関与したチームということで、西武の選手たちが復刻されたセネタースのユニフォームを着用して試合に出場した(対戦相手はセネタースのプロ初試合の相手となった阪急軍を源流とするオリックス・バファローズだった)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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