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尾形健一 : ミニ英和和英辞書
尾形健一[いち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 
: [いち]
  1. (num) one 

尾形健一 ( リダイレクト:緒形健一 ) : ウィキペディア日本語版
緒形健一[おがた けんいち]

緒形 健一(おがた けんいち、男性、1975年1月26日 - )は、日本シュートボクサーキックボクサー。本名は漢字違いの尾形 健一(読み同じ)。山口県油谷町(現在の長門市)出身。長門高等学校卒業。シーザージム所属。
初代シュートボクシング日本スーパーウェルター級王者、S-cup 2006優勝者。柔道二段。
== 来歴 ==
1994年11月にプロデビュー。
1998年6月4日、西林誠一郎(力炎館)との王座決定戦で3R2:15KO勝ちし、JSBAジュニアファルコン級王座を獲得。
1998年11月14日、WPKL世界ジュニアミドル級タイトルマッチ(肘無し、69.85kg契約)でラモン・デッカー(オランダ / WPKL世界王者、IMF世界ウェルター級王者)と対戦。パンチで圧倒され、4R2:58KO負けし奪取に失敗する。
2001年10月20日、リングス「WORLD TITLE SERIES」に参戦し、総合格闘技に初挑戦する。しかし、カーティス・ブリガム(カナダ)に1R0:43裸絞めで一本負けを喫した。
2001年11月20日、「Be a Champ 4th stage」でダニエル・シウバ(ブラジル / メッカバーリトゥード王者)と対戦。2R終盤にミドルキックを打ち込むと、そのまま10カウントを聞かせ、2R2分36秒KO勝ちした。
2002年7月7日、SHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2002のワンマッチに出場し、ナーコウ・スパイン(ニュージーランド)とリングスKOKルール(5分3R)で対戦。2度目の総合格闘技の試合において高い適応力を見せ付けるが、判定0-0で引き分けに終わった。
2004年2月1日、「Infinity-S vol.1」で、ナーコウ・スパインとシュートボクシングルールで再戦。右ローキックで3度目のダウンを奪い、2RKO勝ち。スパインとは2003年4月13日にも対戦が予定されていたが、スパインの音信不通を理由に中止となっていた〔[シュートボクシング] 4.13 後楽園:宍戸、元ラジャ王者と対戦。後藤&緒形の相手変更 BoutReview 2003年4月2日〕。
2004年2月24日、「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」に出場。1回戦で武田幸三と対戦するも1R終了時に膝を痛め、2R開始のゴングと共にセコンドのシーザー武志がタオルを投入したため棄権。試合後に、2月1日の試合で、膝の腸脛靭帯を痛め、血栓が溜まっていたためしゃがむことも走ることも出来ない状態であり、さらに同じ足のふくらはぎは肉離れを起こしていたが、K-1との約束があったから出場したと明らかにした。
2004年9月19日、SHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2004に出場。トーナメント1回戦でカテウ・キビスと対戦し、右目尻カットによるTKO負けとなった。
2005年1月23日、シュートボクシング「GROUND ZERO FUKUOKA」で、K-1 WORLD MAX日本予選で準優勝したセルカン・イルマッツ(トルコ)と対戦。延長判定3-0で勝利を収めた。
2006年2月9日、SHOOT BOXING NEO ΟΡΘΡΟΖ Series 1stでジョニー・エドゥアルドと対戦予定であったが、エドゥアルドが計量後に意識を失い病院へ運ばれる(極度の緊張とプレッシャーによる急性の意識喪失疾患)というアクシデントにより、アンディ・サワーとのエキシビションマッチに変更となった。
2006年11月3日、SHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2006に出場。1回戦でダマッシオ・ペイジ(アメリカ)と対戦。1Rに左ボディでダウンを奪ったがカウンターの右フックでダウンを奪い返された。2Rに左ボディで2度ダウンを奪いTKO勝ち。続く準決勝では日本人同士の対決となった宍戸大樹に判定勝ちすると、決勝で同大会を2連覇中だったアンディ・サワーに判定勝ちし、初代王者吉鷹弘以来のS-cup日本人王者となった。
2007年2月25日、シュートボクシング「無双〜MU-SO〜 其の壱」で現役ラジャムナンスタジアム王者ビッグベン・ケーサージムと対戦。S-cup王者として迎えた2007年の第1戦であったが、2Rに左ローキックでダウンを奪われると、右フックで再びダウンを奪われKO負け。
2007年5月25日、シュートボクシング「無双〜MU-SO〜 其の弐」で徐王琰(ジュ・ヤン)と対戦。2Rに右目を負傷したが、3Rに左膝蹴りをボディに決め、KO勝ち。徐はダメージでしばらく立ち上がれなかった。
2007年7月28日、シュートボクシング「無双〜MU-SO〜 其の参」でKING OF THE GLADIATORS王者アダム・ヒグソンと対戦。1Rに右アッパーでダウンを奪われ、判定負け。当初はサム・スタウトと対戦予定であったが、急遽変更になった。
2007年10月28日、SHOOT BOXING BATTLE SUMMIT GROUND ZERO TOKYO 2007でブライアン・ロアニューと対戦し、2Rに膝蹴り、右フックで2度ダウンを奪われKO負け。当初はアルバート・クラウスと対戦予定であったが、負傷により対戦相手が変更になった。
同年11月30日の「SHOOT BOXING ファン感謝イベント&ヤングシーザー杯」のイベント冒頭、日本ウェルター級王座を返上した。自身の体調不良によって満足な試合が出来ないことを会長のシーザー武志に伝えたところ、王座の返上を提案されたからだと言う。
2008年11月24日、SHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2008に出場。1回戦で金井健治、準決勝でルイス・アゼレードにそれぞれKO勝ちを収めるも、決勝でアンディ・サワーにKO負けを喫し、準優勝となった。
2010年10月2日に行われたS-CUP 2010の記者会見の席において、自身の引退を表明した。そして、11月23日のS-CUP 2010の興業の中で引退式を開く予定であることを明かした。本人は現役の続行を希望していたが、2008年にアンディ・サワーにKO負けした試合の前から頸椎を痛めており、それが原因でドクターストップがかかったのが原因だという〔ブアカーオ、S-cup最終枠に。緒形が引退式 Boutreview.com 閲覧: 2010-11-02〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「緒形健一」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kenichi Ogata (shoot boxer) 」があります。




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