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小田急5000形電車 : ミニ英和和英辞書
小田急5000形電車[おだきゅう5000がたでんしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [きゅう]
  1. (adj-na,n) (1) urgent 2. sudden 3. (2) steep 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

小田急5000形電車 : ウィキペディア日本語版
小田急5000形電車[おだきゅう5000がたでんしゃ]

小田急5000形電車(おだきゅう5000がたでんしゃ)は、小田急電鉄(小田急)が1969年から1982年までの13年間にわたって導入を行なった通勤車両である。
1970年代から1980年代にかけての輸送力増強のために導入された車両で、4両固定編成×15編成と6両固定編成×20編成の合計180両が製造された〔。当初は4両固定編成で製造され、1972年から1975年までは9000形の新造が行なわれたため増備が中断した〔が、1976年から増備が再開された〔。1978年に増備された車両は正式な形式は変更されていないものの、編成が6両固定編成に変更された〔だけではなく、後述するように側面窓構造に相違がある〔ほか、設計変更ではなく新規に車両設計認可を受けている〔ことなどから、雑誌や書籍などでは6両固定編成で登場した車両については5200形と通称される〔〔〔〔〔〔〔元小田急電鉄の社員であり、車両部長・運輸部長・運輸計画部長などを歴任した生方良雄も、自著の中で「5200形」と表記している。〕〔小田急電鉄広報課が1986年11月15日に発行した広報紙『コミュニケート小田急 No.66』p.4では「系列の中に5200形という新しいタイプが量産された」と記されており、広報上では「5200形」としていたことが伺える。〕。
小田急の通勤車両では初めての新製冷房車となった形式〔であり、ベース色をケイプアイボリーとした上でロイヤルブルーの太帯を入れるという、その後長期にわたって小田急通勤車両の標準色となるデザインを初めて登場当時から採用した形式でもある〔。また、1900形から続く「低運転台の前面貫通型で行先表示は貫通扉下部、前照灯は上部で標識灯は左右上部」という、趣味的に「小田急顔」と俗称される前面様式が採用された最後の形式である〔。長期にわたって小田急通勤車両の主力車両として運用されたが、2006年以降は後継車両の導入により淘汰が進められ〔、2012年3月のダイヤ改正をもって営業運転を終了した〔。
小田急では、編成表記の際には「新宿寄り先頭車両の車両番号(新宿方の車号)×両数」という表記を使用している〔ため、本項もそれに倣い、特定の編成を表記する際には「5065×4」「5255×6」のように表記する。特定の車両については車両番号から「デハ5400番台」などのように表記し、本項で「急行列車」と記した場合は、準急急行を、「5000形」とした場合は登場当時から4両固定編成だった車両を、「5200形」とした場合は登場当時は6両固定編成だった車両をさすものとする。また、2400形は「HE車」、2600形は「NHE車」と表記する。
== 登場の経緯 ==
1960年代の前半の時点で、小田急の朝ラッシュピーク時の運行本数はすでに1時間30本に達しており〔、かつ比較的中距離区間の通勤客が急増していた〔。これに対して、小田急では急行列車の運行本数の増加を図るため〔、各駅停車に全長20m・6両固定編成〔ただし、登場当初はホーム有効長延伸が間に合わず5両編成で運用されていた。〕の大型通勤車両であるNHE車を投入し、その分各駅停車の運行本数を減少させることで急行列車の運行本数を確保するという手法を採っていた〔。
各駅停車の車両大型化が一段落した後は、HE車などの中型通勤車8両編成で運行されていた急行列車の大型8両編成化が求められることになった〔が、NHE車は各駅停車向けの車両として製造されていたため設計最高速度は100km/h程度にとどまっており〔、急行用の大型通勤車を製造するにあたっては最高速度を120km/hに引き上げることになった〔。また、この時点で当時の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)千代田線との直通運転は決定していたが、まだ乗り入れ車両に関する具体的な設計協議には入っていなかった〔。そこで、既にHE車で実績のある電装品とNHE車の車体を組み合わせる形で〔、地上線専用の急行用車両として製造されることになったのが5000形である。
急行列車の8両編成化のための車両ではあるが、8両固定編成では運用上の制約が大きく〔〔この当時、急行列車のほとんどは相模大野で小田原線と江ノ島線の列車の分割併合が行なわれており、1973年時点で相模大野での分割併合は上下合計154回にも上っていた。〕、また将来の10両編成化にあたっても6両固定編成を連結すれば対応可能で手戻りがないと判断され〔、4両固定編成で製造し、8両編成で運行する際には4両固定編成を2編成連結して対応することになった〔。小田急の通勤車両では、初めて製造段階で10両編成化を視野に入れて設計した車両である〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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