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小川破笠 : ミニ英和和英辞書
小川破笠[おがわ はりつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

小川 : [おがわ]
 【名詞】 1. streamlet 2. brook 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [かさ]
 【名詞】 1. (bamboo) hat 2. shade 

小川破笠 : ウィキペディア日本語版
小川破笠[おがわ はりつ]

小川 破笠(おがわ はりつ、寛文3年(1663年) - 延享4年6月3日1747年7月10日))は、江戸時代俳人漆芸家。また肉筆浮世絵を描いたことでも知られる。
== 来歴 ==
英一蝶らと同じ伊勢国の人といわれている。江戸の生まれという説もある。本名は小川尚行といわれている。別名を金弥、後に平助。俳号は宗羽(宗宇、宗有)。小川観、笠翁、夢中庵、卯観子、子蝉、英一蝉とも号す。
俳諧師として知られ、当初福田露言に俳諧を学んだが、のち松尾芭蕉の門に入る。画の流派は土佐派狩野派など諸説あるが不詳。当時江戸で人気の絵師であった英一蝶との交流で知られており、一蝶に絵を学んだともいわれる。享保15年(1730年)には二代目市川團十郎や一蝶の弟子の英一蜂と共同で、『父の恩』(ちちのおん : 二代目團十郎編、一蜂・破笠画)を刊行している。
青年期は芭蕉庵に出入りし、芭蕉や宝井其角服部嵐雪といった弟子らその他芭蕉周辺に出入りする人々(一蝶ら)との親しい交流があったらしく、天和3年(1683年)には其角が堀江町から芝に転居した際、嵐雪と一緒について行き同居し、みなで蕉門の初期代表句集『虚栗』を編纂した。また其角にならって諸国をめぐり、俳画も残した。元禄7年(1694年)に芭蕉が死去すると、以後10年ほど一旦足取りが途絶える。
元々多用な趣味(実益?)を持っていたが、享保の頃、50歳過ぎから漆芸を始めたらしく、再度世間に登場する。晩年にあたる享保から延享にかけては、大和絵土佐派琳派の画風を学び、独自の肉筆の浮世絵や風俗画を数点描いている。
寛保元年(1741年)、師匠であった芭蕉の肖像画を描いているが、芸術性を別にしても「絵の腕が確かな、実際に芭蕉と親しく接していた者による肖似性が高い肖像画」という意味で、史料的にも貴重なものである(出光美術館蔵)。なお、破笠による芭蕉像は他にも数点知られているが、どれも晩年の作である〔俳文学会・柿衞文庫・出光美術館編 『没後三百年記念 芭蕉展』 1993年、p.114。〕。享年85。法名は霊照院仙岸笠翁居士。息子に、仙台藩御用絵師を勤める菊田家に入り、伊達宗村の肖像画や領内絵図、動植物写生図などを描いた菊田栄羽がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小川破笠」の詳細全文を読む




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