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寺尾常史 : ミニ英和和英辞書
寺尾常史[てらお つねふみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [とわ, じょう]
  1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality

寺尾常史 : ウィキペディア日本語版
寺尾常史[てらお つねふみ]

寺尾 常史(てらお つねふみ、1963年(昭和38年)2月2日 - )は、鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)出身(生まれは東京都墨田区)で井筒部屋所属の元大相撲力士。得意技は突っ張り、押し、いなし、叩き、下手投げ。最高位は東関脇。本名は福薗 好文(ふくぞの よしふみ)。身長185cm、体重116kg。現在は、年寄錣山として錣山部屋の指導にあたる。角界での愛称は「アビ」〔自身が生まれたばかりの頃、井筒部屋に外国人の見学者がやってきて"a baby"と言ったところ、兄達は「アビ」と聞き違え、そのまま角界での愛称として定着してしまった。〕、血液型はA型、趣味はパチンコ、音楽鑑賞、ゴルフ。
== 来歴 ==

父はもろ差し名人として鳴らした元関脇鶴ヶ嶺、母は25代横綱2代西ノ海の孫娘、長兄は元十両鶴嶺山、次兄は元関脇逆鉾という力士の家系に生まれた(家系で詳述)。父・鶴ヶ嶺は厳格な人間であり、その影響で小さいころから父に対しては敬語を使っていたという。
安田学園高校入学後相撲を始める。厳しい稽古を乗り越えて試合で勝つことの爽快感から相撲にのめりこむようになり2年生の時には一日も早く角界入りしたいと思うようになっていたが、長兄が次兄の入門の際に強硬に反対したことから角界入りしたいという気持ちをなかなか言い出せないでいた〔「寺尾常史 闘志未だ健在なり。」『Sports Graphic Number』、1992年1月20日号、P.43〕。しかし、1979年(昭和54年)5月場所の千秋楽の日、で闘病中であった最愛の母を見舞った後長兄に突然「お前、学校やめて相撲取りになったらどうだ?」と声を掛けられた〔。その後母の通夜の晩に父親に入門の意思を伝え、そのまま高校を中退して兄達を追うようにして角界入りする(母・節子は死ぬ間際に「相撲取りになって」と寺尾に告げていた。寺尾は後年インタビューで「あのお兄ちゃんの言葉は、おふくろの置きみやげだったと思ってるんですよ。きっと俺の気持ちを判っていて、相撲取りにならせてくれたんだな、って。」と往時を振り返っている〔。)。入門後は寺尾節男を名乗った。これは母(福薗節子)の旧姓・寺尾から取ったものである。同年7月場所初土俵1984年(昭和59年)7月場所新十両のとき「源氏山力三郎」と改名する。源氏山の四股名は同部屋に所属した30代横綱西ノ海が横綱昇進直後の場所まで名乗ったものである。この四股名は1場所限りで、翌場所から元の四股名に戻している〔負け越したことからゲン直ししたともいわれる。また本人はかつて出演したテレビ番組『いつみても波瀾万丈』で、『源氏山』は横綱の名跡だから自分には重過ぎたとも語っていた〕。1985年(昭和60年1月場所で12勝3敗の成績で十両優勝し翌場所新入幕。6勝9敗と負け越して陥落するが翌場所も12勝3敗の成績で2度目の十両優勝で1場所で返り咲く。1987年(昭和62年)11月から名を常史(つねふみ)と改める。
初土俵の時に85kgしかなかった体重を100kgまで増やすために大変な努力をしたという。横になると口から食べたものが出る程食べ、夜も食べ物が胃から腸に下りるまで壁に寄りかかり、横になれるのは明け方から数時間程度という生活を約5年続け、100kgの大台に乗ったのは1984年(昭和59年)9月場所のことである。〔『相撲』2012年8月号96頁〕
長兄の鶴嶺山は十両止まりだったが、次兄の逆鉾は関脇まで昇進しており、様々な兄弟記録を残している。1986年(昭和61年)9月場所には同時三賞受賞、1989年(平成元年)3月場所には同時関脇を果たした。また1990年(平成2年)11月場所には千代の富士横綱土俵入り太刀持ち露払いを務めた。
1995年(平成7年)3月場所には横綱貴乃花から初の供給となる金星を獲得した。1997年(平成9年)3月場所には旭鷲山戦で右足親指を骨折し途中休場。初土俵以来続いた連続出場記録が1359で途切れた。30代後半を迎えた寺尾の突っ張りはなお衰えを知らなかったが、力士の大型化が進んだこともあってか2000年(平成12年)7月にはついに十両陥落。周囲からは引退の声も囁かれたが寺尾は続行を決意。翌年3月場所、5場所ぶりに幕内復帰した。38歳であった。再陥落後は昇進のチャンスもあったが、十両上位の星運に泣いた。2002年(平成14年)9月場所、十両11枚目の地位で怪我により3日目から5日目まで途中休場。再出場の6日目に初白星を挙げ、最後の相撲となった千秋楽では小城錦に勝利を決めるも、5勝8敗2休と負け越し幕下陥落が必至となり同9月場所限りで現役引退
現役時代は相撲界では珍しい甘いマスクと筋肉質のソップ体型で、女性ファンからの人気と声援が多かった。若い頃は回転の速い上突っ張りといなしで勝負しており、その敏捷な動きから海外公演で「タイフーン」の通称がついたほどだった。また右を差すこともあり、下手投げは強かった。晩年は突っ張りの後、父・兄が得意としていた両差しの相撲を取るようになった。引退後は年寄・錣山を襲名、井筒部屋の部屋付き親方を経て2004年(平成16年)1月、錣山部屋を創設。同部屋からは2015年(平成27年)7月場所までに小結豊真将、幕内・青狼、十両・阿炎を出している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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