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寛政一揆 : ミニ英和和英辞書
寛政一揆[き]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [いち]
  1. (num) one 
一揆 : [いっき]
 【名詞】 1. (a) riot 2. an insurrection
: [き]
 【名詞】 1. plan 2. rule

寛政一揆 : ウィキペディア日本語版
寛政一揆[き]

寛政一揆(かんせいいっき)は、寛政2年(1790年)12月に三河国刈谷藩領(現愛知県安城市刈谷市高浜市知立市)の諸村で発生した大規模な百姓一揆のことである。刈谷藩では元文3年(1738年)にも一揆が発生しており、いずれも領内諸村に課された金銭負担が原因となり発生した。
== 前史 ==
正徳2年(1712年)、日向国延岡藩より三浦氏刈谷へ入ったが、領地替えや享保の飢饉などの影響により、譜代諸藩の例にもれず財政状態は悪かった。このため三浦氏は、先納金制度や年貢の増徴を実施して、財政負担を領内の百姓や町人に求めたが財政状況の改善には至らなかった。そして、元文元年(1736年)に至ると領内諸村にて欠落する者が続出した他、出稼ぎによって若者が不足し、祭りの実施に差支える村もあり、城下町でも売家の買い手がないといった状況になっていた。このような中においても村方の先納金負担は続き、さらに人別御用金の割り当ても相次いだが、藩財政は逼迫したままであった。
このような情勢下、元文3年(1738年)に目付格郡代役として匂坂久米衛門が着任した。匂坂は領内諸村に対して総検見を実施する旨を申渡したが、総検見実施は年貢増徴の企図が明白であり、村方は従来通りの定免を願い出たが拒否され、総検見が始まった。ここに至って領内41ヶ村の百姓は、ついに村役人と共に刈谷城下に押し掛けて強訴におよび、これをうけて藩側は総検見を中止して、郡奉行以下三名は逼塞となった。また百姓側の指導者に対する処分は行われなかった。これを元文一揆という。
藩主、三浦氏は延享4年(1747年)に西尾へと転封となったが、このおり三浦氏は、これまで通り、先納金と人別御用金を領内に申し付け、これまでの先納金はを西尾に移った後、年末には元利と共に返済する旨を通知したが、結局、返済の気配はなく、諸村の代表は西尾に出向いて返済の履行を迫ったが思うようにならず、これを知った百姓たちは西尾城下へ詰掛けたうえ、江戸への出訴に及ばんとしたが、刈谷藩の役人の連れ戻されるという始末であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「寛政一揆」の詳細全文を読む




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