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安田潤司 : ミニ英和和英辞書
安田潤司[やすだ じゅんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 

安田潤司 : ウィキペディア日本語版
安田潤司[やすだ じゅんじ]
安田 潤司(やすだ じゅんじ、1962年 - )は、日本の映像作家・漫画原作者・メディアプロデューサーである。映画・音楽PV・TV番組などを制作のほかUSTREAMなどのSNSハイクオリティー生中継をディレクション、また「ショーイチ」「伝説の雀鬼」(神田たけ志画)など漫画原作、「牌の音に還る」「スピリチュアルグリーン」「シーソーの真ん中に立つ方法」などの文筆業や各種メディアコンテンツのプロデュースを行っている。
==来歴==

*1962年山口県岩国市生まれ、横浜市出身。
*1983年、当時のパンクインディーズ・シーンを撮ったドキュメント・パンクムービー「ちょっとの雨ならがまん」(出演/町田町蔵/G.I.S.M./ラフィンノーズ/石井聰互ほか)で21歳で映像監督デビュー。同作品は池袋文芸座ほか、全国のロードショーで50000人以上を動員。
*1984年7月池袋文芸座で、安田の「ちょっとの雨ならがまん」と「爆裂都市」(石井聰互)、「闇のカーニバル(山本政志)」、「ノットサティスファイド(太田達也)」などの作品を集めたオールナイトイベント「オールナイト・フィルムGIG」で、入場人員を大きく超えたパンクスやファンが集まり、急遽併設されている映画館を開き、交互にフィルムを廻し上映した。このイベントはその年の文芸座の動員記録を作り話題になる。更に同8月文芸座ル・ピリエで「パンクス青の時代」「GISM」など安田の五本の新作ショートムビーと、「アジアの逆襲(石井聰互)」、「闇のカーニバル(山本政志)」、「無防備教室(諸沢利彦)」、「ノットサティスファイド(太田達也)」、「カスッカスッ(M大坪)」、「カンカンランラン(塚本雪介)」などを5日間上映した「PUNKS 5DAYS」をプロデュースし精力的に活動する。
*1985年伝説のハードコアバンドG.I.S.M.のライブビデオ「Performance 」を自らのレーベルp.p.p.projectから発売。以後、G.I.S.M.の映像を次々に発表。1995年に発売された「Gay Individual Social Mean - Subj & Egos, chopped」は日本のみならず世界中で評価されコレクターの間では伝説のビデオになっている。「ギターリスト・ランディー内田の死によりG.I.S.M.は永久凍結(事実上解散)するが、このラストライブが収録されたビデオ「+R, Regicide Reverberation (2002年)」は、オンエアー・ウエストと新宿アンティノックという1日2会場でのライブが2本組みで発売された。中でも新宿アンティノックでのラストライブは、安田が撮影しているたった一台のカメラ映像のみのワンライブ・1カメラで収録されている。
*1994年、初の長編映画「ファー・イースト・ベイビーズ」を監督。ぴあフィルムフェスティバルの招待作品としてシャンテ日比谷で初公開。その後、吉祥寺バウスシアターでロードショーされた。スイマーズ、頭脳警察のパンタ、トシ、G.I.S.M.のSAKEVI、飴屋法水という知る人ぞ知るキャスト陣が出演。
*1992年安田が脚本・美術監督を務めたがあまりのカルトさにお蔵入りが決定した映画「LOW DEEN」(監督:ミヤザキマサヤ/出演:スイマーズ/ポール牧/山本リンダ)を1996年に安田がプロデューサーとしてミヤザキマサヤと再編集して仕上げ、ピアフィルムフェスティバル招待作品としてシャンテ日比谷などで上映。
*1998年、TVK系列民放でオンエアーされた「トーキョー#リミックス」(総監督:諸沢利彦/全12話)で、6話を監督し、残りの6話をカメラマンで参加。7人の若者たちを追いかけたドキュメンタリー形式で始まった番組がいつしかフィクションとドキュメントの狭間を行き来し、最後には総監督である諸沢利彦にスタッフ・キャストが共鳴し東京のリアルを描いた作品。
*監督デビュー以降、メジャー・インディーズを問わず、数々のライブ・プロモーションビデオを監督する傍ら、Vシネマ、オンエアーなどに演出、撮影、美術監督、脚本などあらゆるパートで参加。NHK衛星の音楽番組「TOKYO DEEP」メインパーソナリティー/DJ KRUSH、マンディ満ちる)を監督。ロンドン・ニューヨーク・インドネシア・カナダ・オランダ・ベルギー・ドイツ・オーストリア・アフリカなど世界30カ国に精力的に渡り、あらゆるジャンルを撮影、監督。
*1998年~2007年まで雀鬼・桜井章一に師事。桜井の主催する雀鬼会の選手部長を務め、ロングセラーVシネマ「雀鬼」シリーズ27本の闘牌指導、闘牌演出、監修補、脚本を担当。麻雀台本と呼ばれる麻雀シーンのカット割りの詳細が書かれた台本も全て作成。安田の作成した麻雀シーンは100局を超えている。また、「雀鬼」シリーズの裏技やツモ打などの麻雀シーンの手元のアップはほとんどが安田が吹き替えしている。
*映像以外にも作家(文筆業)として数冊、漫画原作者として数十冊の本も出版。作家としても活動を続けている。
*2003年に映像監督である諸沢利彦と映像制作会社「有限会社ZERO-SAN(ゼロサン)」を設立(2006年退社)。
*2011年より人気音楽サイトkampsiteにプロデューサーとして参加。2011年12月26日〜12月31日まで下北沢CAVE BEにて一週間ライブとUSTREAMでメッセージを発信するイベント「シフト2012」を開催。遠藤ミチロウ、BAKI、ヒロフミ(アインスフィア)などが参加し一週間で約20万人もの視聴者をカウントした。
*2012年3月11日自らが主催する映像と音楽の放送局GAID.tv(ガイド)を設立。3.11に沖縄よりUA、三宅洋平、フライングダッチマンなどが出演した「ティダノワ」、東京CAVE-BEより「元気力発電しよ」、福島よりHINATABOCCOの三ヶ所同時生中継を行った。これまでUSTREAMでライブ中継したバンド数は500以上、1人で4台のカメラを使ったDJスタイルのライブ中継もしている。
*「ゴッドハンド輝」の登場人物、安田潤司院長のモデルでもある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安田潤司」の詳細全文を読む




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