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安濃津城の戦い : ミニ英和和英辞書
安濃津城の戦い[あのつじょうのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [のう]
  1. (pref) dark 2. thick
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

安濃津城の戦い : ウィキペディア日本語版
安濃津城の戦い[あのつじょうのたたかい]

安濃津城の戦い(あのつじょうのたたかい)は、慶長5年8月24日(1600年10月1日) に安濃津城を巡って行われた戦い。関ヶ原の戦いの前哨戦の一つである。
== 経緯 ==
慶長5年(1600年)、富田信高安濃津城主)、分部光嘉(伊勢上野城主)、古田重勝(松阪城主)、稲葉道通(岩手城主)ら伊勢の諸将らは徳川家康会津征伐に従軍していたが、西軍決起後の小山評定で家康に与力することを決意し、下野小山から急遽帰国し、西軍の到来に備えた。
信高と光嘉は同行して伊勢湾を船で横断したが、西軍に与した九鬼嘉隆の船団に捕捉されてしまった。
しかし、詳細は不明だが西軍に味方すると言いくるめたらしく、二人は伊勢国に上陸することができ、ひとまず各自自城に帰還することができた。
西軍は伊賀方面から東に進出してきたので光嘉は、信高と合流して安濃津城で西軍にあたることになり、加えて古田重勝にも援軍を要請した。
さらに信高は、関東に安濃津籠城の件を伝え、急ぎ家康に西上してもらうよう要請しようとしたが、九鬼嘉隆が海上を封鎖していたため、徳川との連絡は絶たれたままを余儀なくされた。
信高の兵、光嘉の兵、更に重勝の援軍500を加えても安濃津城に籠城する東軍はわずか1,700という劣勢であった〔宇神『シリーズ藩物語、宇和島藩』、P28〕。対するは毛利秀元長束正家安国寺恵瓊鍋島勝茂らで構成する西軍は総勢3万にのぼった。

8月23日より小競り合いが始まり、8月24日10月1日)朝より、毛利秀元、長束正家、安国寺恵瓊ら、1万余騎が北の愛宕山から、西・南方よりも包囲を狭めて本格的な合戦に突入した(『勢陽雑記』)。
光嘉は毛利家臣の宍戸元次と双方重傷を負うほど奮闘し、信高も自ら槍を振るって西軍にあたったが、群がる敵兵に囲まれたところへ、一人の若武者が救援に駆けつけ、危機一髪命を取り留めた。
「美にして武なり、事急なるを聞き単騎にして出づ、鎧冑鮮麗、奮然衝昌、衆皆目属す、遂に信高を扶く…」(「逸史」より)とあるこの武者は、信高の妻であった。
信高、光嘉らは健闘したものの、これ以上戦いを継続するのは困難であり、8月25日木食上人が仲介となって西軍との和平交渉が成立し(吉川広家の降伏勧告を容れた、とも伝わる〔宇神『シリーズ藩物語、宇和島藩』、P29〕)、信高、光嘉は共に一身田の専修寺へ退き、信高は剃髪して高野山にのぼった〔宇神『シリーズ藩物語、宇和島藩』、P29〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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