翻訳と辞書
Words near each other
・ 安宿街
・ 安宿郡
・ 安宿部郡
・ 安富PA
・ 安富パーキングエリア
・ 安富元家
・ 安富元綱
・ 安富史郎
・ 安富徳円
・ 安富徳円 (子)
安富才助
・ 安富正文
・ 安富氏
・ 安富町
・ 安富盛定
・ 安富郵便局
・ 安富長嗣
・ 安富高史
・ 安寧
・ 安寧区


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

安富才助 : ミニ英和和英辞書
安富才助[やすとみ さいすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [さい]
 【名詞】 1. ability 2. gift 3. talent 4. aptitude 5. genius 
: [すけ]
 (n) assistance

安富才助 : ウィキペディア日本語版
安富才助[やすとみ さいすけ]
安富 才助(やすとみ さいすけ、天保10年(1839年) - 明治6年(1873年5月28日)は、備中足守藩出身の新選組隊士。大坪流馬術の遣い手で新選組の馬術師範も務めた。後、副長。陸軍奉行添役。諱は正儀。通称の記述について会津藩庁記録では才輔、土方歳三資料館所蔵の書簡には才介と記されている。
==生涯==
足守藩士で勘定方に勤めていた安富正之進1852年没)の子として生まれる。
元治元年(1864年)10月頃に新選組に入隊。会計方後馬術師範となる。土方歳三の信頼は高かった模様。
甲州勝沼の戦い以後は土方歳三と別行動を取ったが会津で合流。会津では隊長の斎藤一に次ぐ副長役を務めている。その後蝦夷地へ渡り、新選組と離れ、陸軍奉行並に就任した土方の直属の部下となった。箱館戦争で土方が戦死し、それを看取った才助は、土方家宛の手紙を書いて立川主税に託した。旧幕府軍は新政府軍に降伏。
明治3年(1870年)に放免され、元御陵衛士阿部十郎に殺されたと伝わっていたが、近年故郷である足守(岡山市北区足守)の田上寺で才助のものとみられる墓が発見されており、そこには明治6年(1873年)5月28日没と記されている。足守藩の資料によれば、「新政府の命で足守に護送され、そのまま兄の元で謹慎生活を送った」とされる。足守護送後は帰農を命じられ、生涯に渡って帯刀は認められなかった。
なお、安富が立川に託した手紙は土方家に現存し、その手紙の中で、安富は「''早き瀬に 力足らぬか 下り鮎'' 」と土方への追悼句を書き残している。ただし、この句を土方自身の辞世の句とする説もある。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安富才助」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.