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安中景繁 : ミニ英和和英辞書
安中景繁[あんなか かげしげ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中景 : [ちゅうけい]
 (n) middle distance

安中景繁 : ウィキペディア日本語版
安中景繁[あんなか かげしげ]
安中 景繁(あんなか かげしげ、生年不明 - 天正3年5月21日1575年6月29日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は七郎三郎。官途名は左近太夫。安中重繁の嫡男。姉妹に高田繁頼室。室は長野業正(または業氏)の娘。『系図纂要』『甲陽軍鑑』によれば、後室は甲斐武田家の家臣・甘利虎泰の娘であるという。子は久繁(弟とする説もある)。安中城主。
「景」の一字は、安中氏が長尾氏越後上杉氏)に従属していた時期に長尾景虎(後の上杉謙信)の偏諱を与えられたと推定される〔黒田、2013年、P203〕。なお、『和田記』など近世の著作では、左近大夫の実名を忠成(ただなり)とするものがあるが、古文書から裏付けられる実名は景繁である。
安中氏上野国碓氷郡を本拠とした国人永禄5年(1563年)に武田氏が上野国に侵攻した際に、父重繁は松井田城、景繁は安中城にて抵抗するが、景繁は早い時期に降伏したため安中城を安堵されるが、父の重繁は抵抗を続けたために降伏後に松井田城を没収された上に出家・隠居を余儀なくされ、代わりに景繁が家督を継いだ。
武田氏に従属後は、譜代家老で上野国衆との取次を務めた甘利信忠(昌忠)の指揮下に入り、その妹を妻としている。天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いに従軍して戦死した。没後、息子の左近大夫(安中久繁と同一人物とする説とこれを否定する説がある)が跡を継いだ。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安中景繁」の詳細全文を読む




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