翻訳と辞書
Words near each other
・ 姜敏壽
・ 姜敬愛
・ 姜文
・ 姜文奉
・ 姜斉
・ 姜斯憲
・ 姜族
・ 姜日出
・ 姜昆
・ 姜昌一
姜映芳
・ 姜智英
・ 姜暁一
・ 姜暁艶
・ 姜暢雄
・ 姜曉一
・ 姜東佑
・ 姜東潤
・ 姜桂題
・ 姜棟元


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

姜映芳 : ウィキペディア日本語版
姜映芳[きょう えいほう]
姜 映芳(きょう えいほう、''Jiang Yingfang''、1833年 - 1862年)は、末のトン族の蜂起の指導者。姜応芳とも書く。
貴州省天柱出身。貧農の出身で、1855年天地会を組織し、「反清復明」「打富済貧」をスローガンに蜂起し、ゲリラ戦を展開した。1858年には大成国の平靖王李文茂と連携作戦を行った。1861年張秀眉ミャオ族軍と連合し、龍海寛陳大六らとともに政権を樹立して「定平王」と名乗り、九竜山を根拠地とした。1862年4月、天柱県を占領し、湖南省へと進撃を開始した。軍紀は厳正で蜂起軍は3万人にも膨れ上がった。しかし軍は湖南巡撫の毛鴻賓・貴州巡撫の韓超に天柱を包囲させ、激戦の末、天柱は陥落し、姜映芳は九竜山に逃れた。だが裏切りに遭って捕らえられ、9月に処刑された。
==参考文献==

* 郭穀生・史式編『太平天国大辞典』中国社会科学出版社




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「姜映芳」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.