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奴隷権力 : ミニ英和和英辞書
奴隷権力[どれいけんりょく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やつ, やっこ]
 【名詞】 1. (vulg) fellow 2. guy 3. chap 
奴隷 : [どれい]
 【名詞】 1. slave 2. servant 
: [けん, ごん]
  1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something) 
権力 : [けんりょく]
 【名詞】 1. (political) power 2. authority 3. influence 
: [ちから, りょく]
  1. (n-suf) strength 2. power 

奴隷権力 : ウィキペディア日本語版
奴隷権力[どれいけんりょく]
奴隷権力(どれいけんりょく、"aristocracy"(貴族政治)からの造語で"Slaveocracy"と呼ばれることもある)は、アメリカ合衆国の1840年から1865年頃に、南部の奴隷所有者階級が全国的に政治力を及ぼしていたことを表す言葉である。その問題は、一握りの富裕層が出身州の政治権力を掌握し、正統的ではないやり方で中央政府に影響力を及ぼし、奴隷制度の保護と拡大を狙っていたことである。

奴隷権力という言葉で表される大きな問題は、奴隷を所有する者による寡頭政治に対する嫌悪感である。そのような嫌悪感は奴隷制度廃止運動家ではない者、および奴隷の扱いに関する心配よりも、白人に対する脅威と考えられるもので心を動かされた者達にも分かち持たれた。他の多くの問題では意見を異にする者達(黒人を憎んでいようと好んでいようと、奴隷制度を罪として、あるいは深南部でのその保護を保証するものとして非難するような人々)も「奴隷権力」攻撃に纏まることがあった〔 Leonard L. Richards, ''Slave Power: The Free North and Southern Domination, 1780-1860'' (2000) p. 3)〕。1840年代後半に現れた「自由土地」推進派は、金持ちの奴隷所有者がアメリカ合衆国の新しい領土に移動し、その資金で良い土地全てを買い上げ、その土地で自分達の奴隷を働かせるとすれば、自由人の農夫にはほとんど新しい可能性が残されなくなる、と強調していた。1854年までに自由土地党は新結成された共和党に大半が吸収された〔Eric Foner, ''Free Soil, Free Labor, Free Men: The Ideology of the Republican Party Before the Civil War'' (1970)], pp. 73-102〕。
奴隷権力という言葉は、ジョーン・ゴーラム・パルフレー、ジョサイア・クインジー3世、ホレス・ブッシュネル、ジェイムズ・シェパード・パイク、ホレス・グリーリーなど奴隷制度廃止運動家の著作によって広められた。この件を強調した政治家としては、ジョン・クインシー・アダムズヘンリー・ウィルソンウィリアム・ピット・フェッセンデン等がいた。エイブラハム・リンカーンは1854年以降にその概念について言及していたが、言葉そのものは使わなかった。これらの人々は感情的な論議と、確かな統計的データの組み合わせを用いて、南部が長い間その人口構成比よりも大きな権力を国内で維持してきたことを示した。北部の多くの者は「奴隷権力が実際に存在しているか?」という疑問に発して、その上で行動した。歴史家のアラン・ネビンスは「ほとんどあらゆる集団は...着実に感情を理性に置き換えた。...恐れが憎しみを生み、憎しみが恐れを増した。」と強調していた〔Allan Nevins, ''Ordeal of the Union: Fruits of Manifest Destiny, 1847-1852'' (1947) p. ix〕。
しかし、「奴隷権力」の存在は、当時の南部人からは否定されており、1920年代から1930年代の多くの歴史家はそれを嘘だと言っていた。彼等は南部が1850年以前に内部から分裂していたと強調した〔 See Chauncey S. Boucher, "In Re That Aggressive Slavocracy," ''The Mississippi Valley Historical Review'' Vol. 8, No. 1/2 (Jun., 1921), pp. 13-79; Craven (1936) 〕。奴隷権力が存在していたという考え方は1970年以降、新奴隷制度廃止運動家の歴史家の手で再度持ち出され、北部の反奴隷制度信念体系においては強力な要素だったことに疑念は無い。共和党の全ての派閥にとっては標準的な言辞だった〔Foner, ''Free Soil, Free Labor, Free Men'' p. 9〕。
== 背景 ==

多くの北部政治家に拠れば、奴隷制度によって課された問題は、(奴隷制度廃止運動家が強調していた主題である)奴隷の虐待というよりも、特に北部自由州で概念として捉えられているアメリカ合衆国の共和主義、より平明にはアメリカ人の自由の標準に対する対する政治的脅威ということだった。1848年、自由土地党が最初にこの警告を挙げ、奴隷州としてテキサス州併合することは恐ろしい間違いであると論じていた。自由土地党の論議は、共和党が1854年に結成されたときに引き継がれた。
共和党は、奴隷制度が自由労働に比べて経済的に非効率であり、アメリカ合衆国の長期的な近代化にとって障害となるとも論じた。さらに、ソリッドサウスに深く根ざした奴隷権力が、ホワイトハウス(大統領)、連邦議会、および最高裁判所の支配権を体系的に掴んでいるとも言っていた。オハイオ州選出アメリカ合衆国上院議員かつ州知事を務めたサーモン・チェイスが、奴隷権力をはっきり名指す敵対者であり、マサチューセッツ州選出アメリカ合衆国上院議員のチャールズ・サムナーも同様だった。南部人は民主主義共和制も堅持していると答え、彼等の「特別な制度」(奴隷制度)を壊すことは、奴隷を2級の市民にするための違法な努力だと反論した。1850年までに南部では連邦からの脱退が囁かれ始めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「奴隷権力」の詳細全文を読む




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