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天王星作戦 : ミニ英和和英辞書
天王星作戦[てんのうせい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てん]
 【名詞】 1. heaven 2. sky 
天王星 : [てんのうせい]
 (n) Uranus (planet)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
: [ほし]
 【名詞】 1. star 
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
作戦 : [さくせん]
 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

天王星作戦 ( リダイレクト:ウラヌス作戦 ) : ウィキペディア日本語版
ウラヌス作戦[うらぬすさくせん]

ウラヌス作戦(ウラヌスさくせん、〔ラテン文字表記の例:〕、天王星作戦とも)は、第二次世界大戦中に、ソビエト赤軍ドイツ第6軍第4装甲軍の一部、ルーマニア第3、第4軍へ反撃を行い、これを包囲した作戦の作戦名である。作戦はスターリングラードの戦いにおける、スターリングラード周辺のドイツ軍を撃破、無力化することを目標としていた。ウラヌス作戦は1942年9月の早い時期に始まり、ドイツ中央軍集団、およびコーカサスのドイツ軍を包囲、殲滅する作戦と同時に作成された。
ソビエト赤軍はドイツ軍がロシア南部に集中展開されていたことを利用、ドイツ軍の側面防御を担当していたルーマニアイタリア両軍への攻撃を行うこととし、攻撃開始地点はルーマニア軍が防衛している地点に設定された。これらドイツ軍に協力していた枢軸国の部隊にはソビエト赤軍装甲部隊に対抗するための装甲兵力が不足していた。夏季のドイツ軍による攻撃(コーカサスの油田とスターリングラードの占領を目的としていた)によって、長い戦線が形成されており、ドイツ軍と同盟諸軍は戦力以上の戦線を維持することを強いられた。しかし、ドイツ軍の装甲部隊などは西ヨーロッパでの再編成を行っており、状況が改善されることはなかった。さらに、各地区における何ヶ月もの戦いはスターリングラードで戦った部隊を中心に、戦力を低下させていた。そして、ドイツ第6軍の側面を防衛するルーマニア軍への補強としては第48装甲師団、第29装甲擲弾兵師団が存在するだけであった。比較として、ソビエト赤軍はスターリングラード内外で100万以上の将兵を展開していた。ソビエト赤軍は増強を偽装し、突然の攻撃でドイツ軍を混乱させようとしていたが、偽装することが難しいことが発覚したため、部隊の移動に問題が発生しており、さらに、ソビエト赤軍部隊の移動は、輸送設備の問題で遅延した。そのため、ウラヌス作戦は11月8日から17日にかけて行われる予定であったが、19日発動に変更された。
11月19日午前7時20分(モスクワ時間)、スターリングラード北側に展開していたソビエト赤軍は攻勢を開始、南側に展開していた部隊は20日に攻撃を開始した。ルーマニア軍は最初の攻撃は撃退することができたが、ソビエト赤軍がいくつかのドイツ師団を避けたため、11月20日末にはルーマニア第3、第4軍は攻撃に耐えられず、早期に戦線の崩壊を見せていた。ドイツ軍の機動予備はソビエト赤軍の先遣装甲部隊に対応できる戦力が無かった。一方、第6軍もこの新たに生じた脅威に対応するために、スターリングラードから装甲部隊を素早く展開させることができなかった。11月22日後半には南北のソビエト赤軍はカラチで合流、ドン川東に展開していたドイツ軍を包囲した。しかし、包囲されたドイツ軍が脱出を試みる代わりに、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはスターリングラードを保持するよう命令、補給は空軍を使用することが決定された。そして、ソ連、ドイツそれぞれの軍指揮官は次の作戦を計画し始めていた。
天王星作戦とも)は、第二次世界大戦中に、ソビエト赤軍ドイツ第6軍第4装甲軍の一部、ルーマニア第3、第4軍へ反撃を行い、これを包囲した作戦の作戦名である。作戦はスターリングラードの戦いにおける、スターリングラード周辺のドイツ軍を撃破、無力化することを目標としていた。ウラヌス作戦は1942年9月の早い時期に始まり、ドイツ中央軍集団、およびコーカサスのドイツ軍を包囲、殲滅する作戦と同時に作成された。
ソビエト赤軍はドイツ軍がロシア南部に集中展開されていたことを利用、ドイツ軍の側面防御を担当していたルーマニアイタリア両軍への攻撃を行うこととし、攻撃開始地点はルーマニア軍が防衛している地点に設定された。これらドイツ軍に協力していた枢軸国の部隊にはソビエト赤軍装甲部隊に対抗するための装甲兵力が不足していた。夏季のドイツ軍による攻撃(コーカサスの油田とスターリングラードの占領を目的としていた)によって、長い戦線が形成されており、ドイツ軍と同盟諸軍は戦力以上の戦線を維持することを強いられた。しかし、ドイツ軍の装甲部隊などは西ヨーロッパでの再編成を行っており、状況が改善されることはなかった。さらに、各地区における何ヶ月もの戦いはスターリングラードで戦った部隊を中心に、戦力を低下させていた。そして、ドイツ第6軍の側面を防衛するルーマニア軍への補強としては第48装甲師団、第29装甲擲弾兵師団が存在するだけであった。比較として、ソビエト赤軍はスターリングラード内外で100万以上の将兵を展開していた。ソビエト赤軍は増強を偽装し、突然の攻撃でドイツ軍を混乱させようとしていたが、偽装することが難しいことが発覚したため、部隊の移動に問題が発生しており、さらに、ソビエト赤軍部隊の移動は、輸送設備の問題で遅延した。そのため、ウラヌス作戦は11月8日から17日にかけて行われる予定であったが、19日発動に変更された。
11月19日午前7時20分(モスクワ時間)、スターリングラード北側に展開していたソビエト赤軍は攻勢を開始、南側に展開していた部隊は20日に攻撃を開始した。ルーマニア軍は最初の攻撃は撃退することができたが、ソビエト赤軍がいくつかのドイツ師団を避けたため、11月20日末にはルーマニア第3、第4軍は攻撃に耐えられず、早期に戦線の崩壊を見せていた。ドイツ軍の機動予備はソビエト赤軍の先遣装甲部隊に対応できる戦力が無かった。一方、第6軍もこの新たに生じた脅威に対応するために、スターリングラードから装甲部隊を素早く展開させることができなかった。11月22日後半には南北のソビエト赤軍はカラチで合流、ドン川東に展開していたドイツ軍を包囲した。しかし、包囲されたドイツ軍が脱出を試みる代わりに、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはスターリングラードを保持するよう命令、補給は空軍を使用することが決定された。そして、ソ連、ドイツそれぞれの軍指揮官は次の作戦を計画し始めていた。
==背景==
1942年5月初旬、ドイツ国防軍はブラウ作戦(青作戦とも)を発動、南方軍集団正面に展開するソビエト赤軍への攻撃を開始した。〔McCarthy & Syron (2002), p. 131〕7月13日までにドイツ軍はソビエト防衛線を突破、ロストフ・ナ・ドヌを包囲、占領した。〔Glantz (1995), p. 119〕ロストフ陥落後、ヒトラーはスターリングラード、コーカサス油田の両方を占領するために、ロシア南部のドイツ軍をA、B両軍集団に分割するよう命令した。〔Glantz (1995), p. 120〕スターリングラード攻撃は第6軍が命令され、ボルガ川付近に展開、ドイツ空軍第4航空艦隊の支援を受け、前進した。〔McCarthy & Syron (2002), pp. 135–136〕8月7日、2個装甲軍団はスターリングラード側面から攻撃、ソビエト赤軍将兵約50,000名と戦車約1,000両を包囲、22日にはボルガ川を押さえるために、ドン川を横断し始めた。〔McCarthy & Syron (2002), p. 136〕翌日、第6軍の先遣部隊がスターリングラード郊外への侵入を開始、スターリングラードの戦いはここに開始された。〔Cooper (1978), p. 422〕

11月中にドイツ第6軍はスターリングラードのほとんどを占領、ソビエト赤軍をボルガ川川岸に押し込んだ。〔Clark (1965), p. 239〕 しかし、第6軍の側面にはソビエト赤軍の反撃の兆候があり、その情報はソビエト赤軍捕虜からもたらされた。〔Clark (1965), p. 241〕しかし、ヒトラーはスターリングラードを占領することにこだわっていた。〔Clark (1965), p. 242〕実際、ドイツ国防軍参謀総長フランツ・ハルダーは第6軍と第4装甲軍の拡大し過ぎていた側面に迫っていた危機について警告していたが、9月、ヒトラーとの意見対立により解任された。〔McCarthy & Syron (2002), pp. 137–138〕9月の早い時期、ソビエト赤軍最高司令部はロシア南部、スターリングラード及びコーカサスでドイツ中央軍集団を撃破する一連の反撃作戦を計画していた。〔Glantz (1999), p. 17〕 そして、スターリングラードを奪取する作戦の司令官にアレクサンドル・ヴァシレフスキーが任命された。〔Glantz (1999), p. 18〕
ソビエト赤軍最高司令部はスターリングラードで行うウラヌス、サターン両作戦を拡大、出来得る限り増援戦力を広範囲に展開して、ドイツ中央軍集団に出来得る限りの損害を与えるためのマーズ作戦をさらに計画した。〔Glantz (1995), pp. 129–130〕 ウラヌス作戦のために、ソビエト赤軍はスターリングラード周辺で直接ドイツ軍など枢軸国を包囲するために機械化、歩兵部隊を大規模に展開させ、〔Glantz (1995), p. 130〕さらにソビエト赤軍は攻撃開始地点をドイツ第6軍の背後の戦線におき、枢軸軍の戦線が延びきり、戦力が希薄な箇所を素早く撃破、これを包囲することを目的とした。〔Beevor (1998), pp. 225–226〕
攻撃は南北両翼から開始された。別のソビエト赤軍部隊がドイツ軍背後で攻撃、〔Beevor (1998), p. 226〕ドイツ第6軍に接触しようとしている間、ソビエト機械化部隊はドイツ軍防衛線へ深く侵入していた。一方、ソビエト赤軍が準備完了していた頃、ドイツ国防軍最高司令部は、中央軍集団北側で戦力を増やしつつあるソビエト赤軍が南北同時攻撃はないという確信を持っており、切迫しつつあった反撃の可能性を否定し続けていた。〔McTaggart (2006), pp. 49–50〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウラヌス作戦」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Operation Uranus 」があります。




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