翻訳と辞書
Words near each other
・ 大西滝治郎
・ 大西潤甫
・ 大西瀧治郎
・ 大西猪之介
・ 大西玉
・ 大西王朝
・ 大西玲子
・ 大西由希子
・ 大西町
・ 大西町 (岡崎市)
大西直宏
・ 大西真央
・ 大西真美
・ 大西礼芳
・ 大西祐
・ 大西祝
・ 大西祥平
・ 大西祥平 (ライター)
・ 大西秀人
・ 大西秀明


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大西直宏 : ミニ英和和英辞書
大西直宏[おおにし なおひろ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly

大西直宏 : ウィキペディア日本語版
大西直宏[おおにし なおひろ]

大西 直宏(おおにし なおひろ、1961年9月14日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の元騎手東京都葛飾区出身。2006年12月17日に現役騎手を引退した。
== 来歴 ==
1980年3月1日中山競馬第6競走のダストシルバーで初騎乗(5着)。初勝利は同年3月23日の中山競馬第1競走のハイロータリーで挙げる。この年9勝(うち障害1勝)を挙げ、「民放競馬記者クラブ賞(最優秀新人賞)」を受賞する。
デビュー2年目の1981年には第1回ジャパンカップゴールドスペンサーに騎乗、日本調教馬最先着(5着)した。
1982年には初勝利を挙げたハイロータリーでアラブ大賞典(秋)を制し初めての重賞勝利を挙げたものの、成績自体は伸び悩む。1987年東京優駿(日本ダービー)ではサニースワローで22番人気ながら2着(優勝馬はメリーナイス)に入っているが、1991年は年間1勝に終わるなど、目立った活躍はほとんどなく、マスメディアでは「忘れられた騎手」とまで報じられ、本人もデビュー以来所属する中尾銑治厩舎の仕事をしながら、調教師試験への準備を考え始めていたという。
もともと騎乗技術があった割に長い間騎乗馬に恵まれなかったのは、大西自身がシャイな性格で口数も少なく、競馬サークル内での営業活動(騎乗馬確保)・人間関係づくりが不得手であったことによる、と多くの競馬マスメディアの記事などで評伝されている。師匠である中尾も「あいつは腕はあるんだが、口下手で…」と、大西の寡黙さが影響しての成績低迷をしきりに惜しんでいた〔木村幸治「騎手物語」より〕。
ところが、自厩舎に所属することになったサニーブライアンとの出会いが、大西の名を全国区に押し上げる。1997年皐月賞を11番人気ながら逃げ切り、人馬共に初めてのGI制覇を飾る。これが大西にとってはこの年の3勝目で、しかもうち2勝がサニーブライアンによるもので、なおかつ重賞勝利もアラブ大賞典(秋)以来の生涯通算2勝目(グレード重賞初勝利)という、GI勝利ジョッキーとしては稀なることとして話題となった。また、14年4か月ぶりの重賞勝利はJRAの新記録であった。次走の東京優駿でも同馬とのコンビで、6番人気と相変わらずの低評価ながら鮮やかな逃げ切りを見せ、二冠を達成。レース後「1番人気はいらないから1着だけ欲しい、と思っていました。」と発言した。同馬はサニースワローのであり、馬主も厩舎も鞍上も同じなら、作戦まで同じ逃げということでも話題になった。
ダービージョッキーとなった事でその手腕が改めて評価される事となり、以降は騎乗回数も大幅に増え、それに比例して勝ち星も増えていった〔これまで目立たなかった騎手がダービー優勝を機に騎乗回数を増やしたり評価を上げたりした例はその後石橋守などがいる。〕。新装オープンした新潟競馬の直線競馬競走の初勝利騎手としても名を残す一方、以降はローカル競馬を中心に渋い働きを見せ続けた。2002年に自己最高の45勝を挙げ、2004年カルストンライトオに騎乗しスプリンターズステークスを優勝。同馬とのコンビでは、新潟競馬場の直線コースで行われるアイビスサマーダッシュも2度制している。
騎手晩年は『マイネル』の冠名で知られるラフィアンの所有馬に騎乗する事が多かった。2000年マイネルコンバットジャパンダートダービーを優勝し、日本における芝とダートのダービー相当競走を共に制覇した史上初の騎手となった他、マイネルセレクトでのシリウスステークス優勝(後にJBCスプリントで2着)、マイネルアムンゼンでの新潟大賞典ならびにエプソムカップ優勝などがあげられる。
2006年12月6日に引退届を提出、同17日の中山開催で騎手生活から引退した。大西が引退した時点で美浦トレーニングセンターに所属する現役のダービージョッキーが皆無となる事態となり、その「空白期間」は2009年5月にロジユニヴァース横山典弘が新たなダービージョッキーとなるまで約2年半に渡り続くこととなった。
引退後は、2008年11月まで競馬の専門学校ジャパンホースマンアカデミーで特別講師などを務めた。2009年からは国際馬事学校で講師兼任の学校長を務め、競馬情報会社ワールドで馬券戦略の情報指針役にも就任した。2012年2月からは美浦トレセン郊外にある育成牧場「NOレーシングステーブル」の経営にも着手している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大西直宏」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.