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大島忠一 : ミニ英和和英辞書
大島忠一[おおしま ちゅういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [いち]
  1. (num) one 

大島忠一 : ウィキペディア日本語版
大島忠一[おおしま ちゅういち]

大島 忠一(おおしま ちゅういち、1949年8月15日 - )は、愛知県丹羽郡岩倉町(現・岩倉市)生まれ。同県名古屋市熱田区育ちの元プロ野球選手捕手)、コーチ。
== 来歴・人物 ==
中京商業高等学校(現:中京大学附属中京高等学校)では1966年、2年の時に控え捕手として夏の甲子園で連覇を達成した。後にプロ野球選手になる矢沢正加藤英夫平林二郎伊熊博一らが1年上のチームメイトだった。翌1967年にも夏の甲子園に捕手、三番打者として連続出場。川口勉投手(中京大トヨタ自動車)の好投もあり準決勝に進出するが、エース石井好博を擁する習志野高に2-3で惜敗している。この時の控え投手に1年下の水谷則博がいた。
中京大学へ進学。愛知大学リーグで1年の秋から6季連続優勝。1970年には、エース榎本直樹とバッテリーを組み、全日本大学野球選手権大会決勝で関大を破り初優勝。リーグ通算69試合出場、197打数56安打、打率.284、6本塁打、35打点。ベストナイン4回受賞。
1971年ドラフト会議阪神タイガースから7位指名を受け入団〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、102ページ〕。二軍での4年間の下積みを経て1976年に一軍初出場。田淵幸一片岡新之介に続く第3の捕手としてベンチ入りし、代打として活躍。1977年には自己最多の48試合に出場し、同年5月19日の中日戦(甲子園)で7-7で迎えた延長10回裏、鈴木孝政からプロ初本塁打となる代打サヨナラ本塁打を打った。翌1978年4月1日には開幕戦代打本塁打を記録。
1983年はコーチ補佐兼務になり、同年オフに現役引退した〔。1984年もコーチ補佐を務めたが、同年で退団した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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