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大井次三郎 : ミニ英和和英辞書
大井次三郎[おおい じさぶろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 
: [み]
  1. (num) three 

大井次三郎 : ウィキペディア日本語版
大井次三郎[おおい じさぶろう]
大井 次三郎(おおい じさぶろう、1905年9月18日 - 1977年2月22日〔北村四郎(1977)「大井次三郎博士の伝」植物分類・地理 28(4〜6) pp.92-97〕)は、日本植物学者牧野富太郎と並んで、日本の植物分類学の基礎を築いた人物である。
カヤツリグサ科の植物を中心に分類を行い、多くの植物を命名した。またその植物分類に対する功績をたたえ、ツクシオオガヤツリ(''Cyperus ohwii'')など、大井に献名された植物もある。
命名者として学名に記載される際には Ohwi のスペルが用いられるが、大井自身は当初 Ohi と綴っていた。しかし「Ohi では呼び声の『オーイ』と同じになってしまうから」という小泉源一の提案があり、Ohwi と記載されることになった〔。
== 概要 ==
1905年東京都の木材商の家に生まれた〔。
1930年に京都帝国大学(現:京都大学農学部を卒業〔。その年に同大学の副手に就任。1937年に理学博士号を取得。1943年に入隊し、第二次世界大戦中は陸軍に所属した〔。
終戦後に、東京科学博物館(現:国立科学博物館)の事務嘱託を経て研究員の職につき、1970年まで同博物館に勤務。1972年には同博物館の名誉館員となった〔。
同博物館の図書課長を務めていた1953年に、それまでに知られていた日本の植物を網羅した『日本植物誌』(のちに『新日本植物誌』として改訂)を刊行。同書は『Flora of Japan』として英訳もなされた。またその功績を讃えられ、1971年朝日賞を受賞した〔。
1977年心臓麻痺で死去〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大井次三郎」の詳細全文を読む




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