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増巳山 : ミニ英和和英辞書
増巳山[ぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぞう]
 (n) increase
: [み]
 【名詞】 1. sixth sign of Chinese zodiac (The Serpent, 9a.m.-11a.m., south-southeast, April) 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

増巳山 ( リダイレクト:増巳山豪 ) : ウィキペディア日本語版
増巳山豪[ますみやま たけし]
増巳山 豪(ますみやま たけし、1922年1月17日 - 1995年5月11日)は、1950年代に活躍した大相撲力士である。身長182cm、体重99kg。引退後は、年寄・阿武松や同・待乳山として後進の指導に努めた。
==来歴・人物==
和歌山県西牟婁郡(現・東牟婁郡串本町出身。本名は石谷 昌治(いしや まさはる)。
小学校卒業後は神戸市内の企業に勤めていたが、16歳の時に上京し、三保ヶ関部屋へ入門。1939年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、故郷の近くの名勝である熊野灘から1字を取った「熊ノ浦」(後、「秀ノ海」を経て「増巳山」へ改名している)。
1944年5月、幕下にいた時に召集され、兵役に就く。その間、1946年5月に師匠の8代三保ヶ関(元十両4・滝ノ海)が亡くなり、それに伴って弟子達は出羽海部屋に預けられた。そのため、帰還した時には、出羽海部屋の所属となっていた。
1949年1月、新十両に昇進。1950年1月場所では13勝2敗と大勝ちして十両優勝を飾り、翌5月場所で新入幕を果たした。この場所から、兄弟子であった元大関・増位山の三保ヶ関親方(9代目)が出羽海部屋から独立して三保ヶ関部屋を再興したため、4年ぶりに同部屋へ戻る事となった。
突っ張りと叩きを主な武器としたが、幕内上位には上がれず、最高位は1950年9月場所に於いての西前頭13枚目に留まった。幕内を8場所連続保ったあと、1953年1月場所では十両に陥落し、その後は1場所だけ再入幕した。
以降、1958年9月場所まで十両に在り、十両在位は通算29場所に及んだ。
同年11月場所では幕下に落ちて初日より休場し、場所後、36歳で引退
引退後は年寄・阿武松から同・待乳山を襲名し、三保ヶ関部屋付きの親方として停年まで日本相撲協会に在籍した。
1995年5月11日、腎臓癌のため東京都墨田区内の病院で逝去。73歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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