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堀辰雄 : ミニ英和和英辞書
堀辰雄[ほり たつお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほり]
 【名詞】 1. moat 2. canal 
: [たつ]
 【名詞】 1. fifth sign of Chinese zodiac (The Dragon, 7a.m.-9a.m., east-southeast, March) 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

堀辰雄 : ウィキペディア日本語版
堀辰雄[ほり たつお]

堀 辰雄(ほり たつお、1904年明治37年)12月28日 - 1953年昭和28年)5月28日)は、日本小説家
それまで私小説的となっていた日本の小説の流れの中に、意識的にフィクションによる「作りもの」としてのロマン(西洋流の小説)という文学形式を確立しようとした〔中村真一郎「月報2 編集雑記」(『堀辰雄全集第二巻』)(筑摩書房、1977年)〕。フランス文学心理主義を積極的に取り入れ、日本の古典王朝女流文学にも新しい生命を見出し、それらを融合させることによって独自の文学世界を創造した〔『新潮日本文学アルバム17 堀辰雄』(新潮社、1984年)〕。肺結核を病み、軽井沢に療養することも度々あり、そこを舞台にした作品を多く残した。
戦時下の不安な時代に、時流に安易に迎合しない堀の作風は、後進の世代の立原道造中村真一郎福永武彦丸岡明などから支持され、彼らは堀の弟子のような存在として知られている。戦争末期からは結核の症状が悪化し、戦後はほとんど作品の発表もできず、闘病生活を送ったが48歳で死去した〔。
== 生涯 ==

=== 幼少時代 ===
1904年(明治37年)12月28日東京府東京市麹町区麹町平河町五丁目2番地(現東京都千代田区平河町二丁目13番)にて出生。実父・堀浜之助は広島藩士族で、維新上京東京地方裁判所の監督書記を務めていた〔。母・西村志気は、東京の町家の娘。「辰雄」という名前は、辰年生まれにちなんで命名された。浜之助には妻・こうがいたが病身で子がなく、辰雄は堀家の嫡男として届けられる。1906年(明治39年)、辰雄2歳の時、母・志気が辰雄を連れて堀家を去り、本所区向島小梅町(現:墨田区向島一丁目)へ移る。1908年(明治41年)、辰雄4歳の時、母・志気は彫金師の上條松吉(寿則と号した)に嫁した〔堀辰雄「花を持てる女」(文學界 1942年8月号に掲載)。『幼年時代』(青磁社、1942年)に所収。〕〔池内輝雄『堀辰雄 <叢書 現代作家の世界3>』(文泉堂出版、1977年〕〔 佐々木基一谷田昌平『堀辰雄 その生涯と文学』(花曜社、1983年)〕〔谷田昌平『墨東の堀辰雄』(彌生書房、1997年)〕〔。
辰雄の母も養父も、江戸っ子肌のさっぱりした気性であったため、辰雄のことで一度も悶着することもなく、誰の目にも本当の親子と見られ、辰雄自身も養父・松吉を実の父親だと信じ、父の死ぬ日までそれを疑ったことがなかった〔〔。なお、実父の堀浜之助は、1910年(明治43年)4月に死去した。その妻・こうも1914年(大正3年)に死去し、以後、浜之助の恩給は辰雄が成人に達するまで受給された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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