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咸鏡道 : ウィキペディア日本語版
咸鏡道[かんきょうどう]

咸鏡道(かんきょうどう、)は、李氏朝鮮の行政区分・朝鮮八道の一つ。1467年から1470年までと1498年から1896年まで使われていた名称。1896年に咸鏡北道咸鏡南道に分割された。西を平安道と接し、南を江原道と接し、北は中国と国境を接していた。
咸鏡道という名称は主要都市の咸興鏡城(咸鏡北道鏡城郡)から取ったものである。
朝鮮半島の東北部に位置し、朝鮮三国時代の一国である高句麗が領有しており、後に渤海が領有した。渤海が滅びると北部は女真族の地となり、朝鮮半島の王朝が占有していたのは南部のみとなった。高麗末期から李氏朝鮮初期にかけては東北面と呼ばれていた。太宗13年(1413年)に永吉道(永興・吉州より、永興は太祖李成桂の故郷)と改名され、道に組み込まれる。さらに太宗16年(1416年咸吉道(咸興と吉州より)に改名された。
初めて咸鏡道と言う名前が出てくるのは世祖13年(1467年)であるが、成宗元年(1470年)に李施愛の乱に加担した李仲和の出身地・咸興が、府から郡への格下げと観察使営も永興に移されたことから、永安道(永興・安辺より、安辺は現在の北朝鮮の江原道安辺郡)と改称された。
永安道から咸鏡道に再び改名されたのは燕山君4年(1498年)4月4日である。

現在の北朝鮮咸鏡北道咸鏡南道両江道羅先特別市に相当する地域であり、日本の東北地方北部から北海道地方道南と同じ緯度に位置している。ただし、文川・徳源・安辺(元山市附近)は江原道に編入された。
歴史的には高句麗渤海が支配、高麗時代は南部を除くとほとんどが女真族の土地であったが、李氏朝鮮世宗の時代に強占して併合した。その後も女真との国境に位置する為、南進する女真との国境紛争が絶えず、李氏朝鮮の重要防衛拠点でもあった。世宗の時代に豆満江鴨緑江を防衛ラインにすることで北境が確定し、咸鏡道の道境もほぼ確定する。
==「経国大典」による道内地方区分==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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