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合性論 : ミニ英和和英辞書
合性論[あいしょうろん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
合性 : [あいしょう]
 【名詞】 1. affinity 2. compatibility
: [ろん]
 【名詞】 1. (1) argument 2. discussion 3. dispute 4. controversy 5. discourse 6. debate 7. (2) theory 8. doctrine 9. (3) essay 10. treatise 1 1. comment

合性論 : ウィキペディア日本語版
合性論[あいしょうろん]

合性論もしくは一性論とは、非カルケドン派教会や最初の三つの公会議のみを認める様々な教会に支持されているキリスト論の定式化の一つ。
合性論においては、イエス・キリストの一つの位格の中で神性人性は合一して一つに、つまり一つの本性(フュシス)になり、二つの本性は分割されることなく、混ぜ合わされることなく、変化することなく合一する〔''The Blackwell Companion to Eastern Christianity'' by Ken Parry 2009 ISBN 1444333615 page 88 〕。
歴史的に、カルケドン派キリスト教徒は合性論を一般に正統派の解釈に従うことのできるものと考えてきたが、それにもかかわらず非カルケドン派の合性論を単性論の一種だと受け取ってきた。非カルケドン派教会自体はこういった混同を否定する〔Nine Saints Ethiopian Orthodox Monastery: Monophysitism and Dyophysitism 〕。
==歴史==
「一性論」という用語はネストリオス派に対する応答として生まれてきた。ネストリオス派がアンティオキア学派に根差し、アレクサンドリア学派に対抗していたため、シリアエジプトのキリスト教徒は過激なネストリオス派とは距離を置き、自身の神学的立場を表現するのにこの「合性論」という用語を使って自身の立場の整合性を保とうとした。
合性論の神学はキリストの本性(: , ''physis'')、つまり人性と神性の理解に基づいている仮現説(キリストは人間のように見えただけということ)と養子的キリスト論(キリストは神によって選ばれた人間だということ)の間を通って、教会はキリストの本性の神秘をさらに探り始めた。特に二つの立場が論争を引き起こした:
*ネストリオス派は、二つの位格が一つの肉体に同居するという程度にまでキリストにおける神性と人性の区別を強調する。この立場はエフェソス公会議で排斥された。
*エウテュケス派は、大洋が一滴のヴィネガーを吸収するのと同様にキリストの神性が人性を吸収したという程度にまでキリストの本性が単一であることを強調する。この立場はカルケドン公会議で排斥された。
エウテュケス派に対する応答として、以降の公会議では両性論が採用された。これは位格と本性をはっきりと区別し、キリストは一つの位格に二つの本性があると述べるが、本性が「混ざり合うこともなく、変化することもなく、分割されることもなく、引き離されることもない」という点を強調する立場である。
合性論はこの定義をネストリオス派に近づくものとして否定し、代わりにネストリオス派に対する最大の反対者であったアレクサンドリアのキュリロスの言葉を支持した。彼は「受肉したロゴスの一つの(''mia'')本性」( ''mía phýsis toû theoû lógou sesarkōménē'')と言っている〔John McGuckin (2004), ''Saint Cyril of Alexandria and the Christological Controversy'', ISBN 0-88141-259-7 p140 et al〕。合性論の特徴は、受肉したキリストは一つの本性のみを持つが、その本性は神性と人性の両方の特質を保持しているとするところにある。合性論者はエウテュケス派を攻撃するが、どちらも反対する者からは単性論とみなされた。
カルケドン公会議(451年)は両性論が採用された公会議であるためにカルケドン派にはしばしばキリスト論の分水嶺とみなされる。しかし、東方諸教会、特に合性論を採用するエジプトのコプト教会がカルケドン公会議の決定を否定していたため、論争が東ローマ帝国において社会的・政治的な問題となった。二つの派閥の間で再合同の試みが度々行われ(482年のヘノティコンを含む)、パワーバランスが何度も揺れ動いた。しかし、カルケドン公会議の決定が東方正教会ローマ・カトリック、伝統的なプロテスタント諸教派の公式の教義として生き残った。非カルケドン派正教会は大抵の場合東方諸教会という名の下でグループ分けされる。ここ数十年の間、キリスト教の様々な分派の指導者が伝統的に考えられてきたほど極端でないそれぞれのキリスト論の違いについて話し合っている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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