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原胤栄 : ミニ英和和英辞書
原胤栄[はら たねひで]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [たね]
 【名詞】 1. issue 2. offspring 3. paternal blood
: [さかえ, はえ]
 【名詞】 1. glory 2. prosperity

原胤栄 : ウィキペディア日本語版
原胤栄[はら たねひで]
原 胤栄(はら たねひで/たねよし、天文20年(1551年)-天正17年12月5日1590年1月10日)または天正18年6月6日(1590年7月7日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将千葉氏重臣・下総原氏宗家。なお、没日については2つの伝承がある。通説では原胤貞の嫡男とされているが、近年では庶子説・養子(胤貞の弟)説も出されている〔黒田基樹は庶子説を採り、高橋健一は養子の可能性も考慮すべきと主張している。 佐藤博信「下総臼井・小弓城主原胤栄に関する覚書」(千葉城郭研究会 編『城郭と中世の東国』(高志書院、2005年 ISBN 4862150063)載録)より〕。子には原胤義がいる。別名・十郎。官途名式部大輔。  
元亀年間初めに胤貞の後を継いで下総国生実城(現在の千葉市中央区)の城主となったが、天正2年(1574年)に原氏のもう一つの根拠であった臼井城(同佐倉市)へ移り、以後ここを拠点とした。原氏宗家当主として一族の統制を図ろうとするが、原親幹胤長ら庶流の実力者達を抑えることは困難であった。加えて弟の原胤親とは不仲で、当主千葉邦胤の許しを得て胤親の居城・手賀城(同柏市)に攻撃を加えた事もあったという。邦胤の死後は、北条氏政の子・直重を当主に迎え入れるが、これを主導したのも胤長であった。こうした背景からか胤栄が中山法華経寺をはじめとする諸寺社を保護する命令を多く出している。
豊臣秀吉小田原征伐の最中に死去、嫡男の胤義が後北条氏人質となっていたため、急遽原邦房が臼井城の城代に入ったという。
== 補注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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