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南北等距離外交 : ミニ英和和英辞書
南北等距離外交[なんぼくとうきょりがいこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南北 : [なんぼく]
 【名詞】 1. south and north 
: [きた, ほく]
 (n) north
: [など]
  1. (suf) and others 2. et alia 3. etc. (ら)
等距離 : [とうきょり]
 (n) equidistant
距離 : [きょり]
 【名詞】1. distance 2. range
: [そと, ほか, げ, がい]
 【名詞】 1. other place 2. the rest 
外交 : [がいこう]
 【名詞】 1. diplomacy 

南北等距離外交 : ウィキペディア日本語版
南北等距離外交[なんぼくとうきょりがいこう]
朝鮮半島にまつわる南北等距離外交(なんぼくとうきょりがいこう)とは、南北朝鮮のいずれにも与せず敵対せず、大韓民国(南朝鮮)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の双方と外交関係を樹立すること、あるいは樹立を目指すべきという外交政策上の立場のこと。
南北朝鮮両国とも同時承認を受け入れており、一つの中国論に基づき排他的な二者択一の選択を迫り、離反国とは断交も辞さない中華人民共和国および中華民国台湾)の例とはスタンスを異にする(台湾問題#二重承認問題も参照)。
==韓国の対共産圏政策の変化==
1960年代、韓国は西ドイツの「ハルシュタイン原則」に準じて、北朝鮮と外交関係のある国とは外交関係を持たないという方針を掲げていた。1963年2月には「外交官職務遂行基本指針」を改正し、共産圏諸国(社会主義国)の外交官と職務上の接触を許可しないことを定めた。特に北朝鮮、中華人民共和国、北ベトナムを「敵性集団」と位置づけ、これらの国の外交官とは接触を一切禁じていた〔木宮、5ページ。〕。
1967年に、この基本指針は再度改正され、「敵性集団以外の共産国家との接触の余地を残す」とした〔木宮、5ページ。〕。さらに、1971年には新たに「外交官等職務遂行指針」を定め、共産国家を「北朝鮮」「敵性集団(中国・ベトナム)」「その他共産国家」の三つに区分し、「敵性集団」とは「やむを得ず対話する場合には健全な判断のもとで対処し不必要な言動を慎む」とし、「その他共産国家」に対しては「韓国の経済発展の様相を広報し、通商交易関係など経済問題に対話を集中する」「北朝鮮の統一政策を糾弾し、韓国の平和的統一方策を認識させる」という主旨の方針を定めた〔木宮、6ページ。〕。
1973年6月23日朴正煕大統領は、「平和統一政策に関する特別声明」(通称:6.23声明)を発表し、「緊張緩和と国際協力に役立つなら北朝鮮が韓国とともに国際機構に参加するのに反対しない」「統一の障害にならず、国連加盟国の多くの賛成が得られるなら、北朝鮮とともに国連に加盟〔1991年9月17日、韓国と北朝鮮は国連に同時加盟を果たした。〕する事を反対しない」「韓国は、互恵平等の原則のもと、すべての国家に門戸を開放するものであり、我々と理念や体制を異にする諸国も我々に門戸を開放するよう促す」など、7つの政策を宣言し、対共産圏政策、対北朝鮮政策を転換した〔木宮、7ページ。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「南北等距離外交」の詳細全文を読む




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