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北面の武士 : ミニ英和和英辞書
北面の武士[ほくめん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
北面 : [ほくめん]
  1. (n,vs) north face 2. north side 3. the north 4. facing north
: [めん]
  1. (n,n-suf) face 2. mug 3. surface 4. facial features 5. mask 6. face guard 7. side or facet 8. corner 9. page 
武士 : [もののふ, ぶし]
 【名詞】 1. warrior 2. samurai

北面の武士 ( リダイレクト:北面武士 ) : ウィキペディア日本語版
北面武士[ほくめんのぶし]
北面武士(ほくめんのぶし)とは、院御所の北面(北側の部屋)の下に詰め、上皇の身辺を警衛、あるいは御幸に供奉した武士のこと。11世紀末に白河法皇が創設した。院の直属軍として、主に寺社の強訴を防ぐために動員された。
== 概要 ==
北面について『愚管抄』は次のように説明している。
:「此御時、院中上下の北面を置かれて上は諸大夫、下は衛府所司允(じょう)が多く候(さぶらい)て、下北面御幸の御後には箭(や)負(おい)て、つかまつりけり、後にも皆其例也」
そこにいわれるように、北面は上北面と下北面に分かれている。「上」(シャウ)は殿上の2間が詰所となって、四位・五位の諸大夫層が中心となる。その多くは文官で、最終的に公卿まで昇進する者もいた。これに対して、「下」(カ、またはケ)は殿上ではなく御所の北の築地に沿う五間屋であり、六位の身分の者が中心となる。近習や護持僧もいるが大部分は武士であり、一般的に北面武士といえば、下北面(北面下臈とも)を指す。
創設の時期は、白河法皇の政治介入に批判的だった関白藤原師通が急逝し、摂関家が弱体化した康和年間(1099年1104年)と推測される〔『為房卿記』康和5年(1103年)8月17日条に「北面伺候五位六位十人許」とあるのが、北面の初見である。〕。当初の北面は近習や寵童(男色の相手)など、院と個人的に関係の深い者で構成されていたが、院の権勢が高まると摂関家に伺候していた軍事貴族も包摂するようになり、その規模は急激に膨張した。新たに北面に加わった軍事貴族は、それぞれがある程度の武士団を従えた将軍・将校クラスであり、元永元年(1118年)、延暦寺の強訴を防ぐため賀茂河原に派遣された部隊だけで「千余人」に達したという(『中右記』5月22日条)。
従来、院の警護を担当していた武者所は機能を吸収され、北面武士の郎党となる者も現れてその地位は低落した〔天永4年(1113年)に白河院武者所・宗友が盗賊追捕の賞により左兵衛尉に任じられたが、宗友は平忠盛郎等と記されている(『長秋記』3月14日条)。〕。また白河法皇は北面武士を次々に検非違使に抜擢し、検非違使別当を介さず直接に指示を下したため、検非違使庁の形骸化も進行した。平正盛忠盛父子は北面武士の筆頭となり、それをテコに院庁での地位を上昇させていった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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