翻訳と辞書
Words near each other
・ 北条時茂 (宗政流)
・ 北条時行
・ 北条時親
・ 北条時輔
・ 北条時連
・ 北条時遠
・ 北条時遠 (左近大夫)
・ 北条時遠 (時房流)
・ 北条時長
・ 北条時頼
北条景広
・ 北条晶
・ 北条有時
・ 北条朝時
・ 北条朝直
・ 北条朝貞
・ 北条村
・ 北条業時
・ 北条正房
・ 北条氏


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

北条景広 : ミニ英和和英辞書
北条景広[きたじょう かげひろ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north

北条景広 : ウィキペディア日本語版
北条景広[きたじょう かげひろ]
北条 景広(きたじょう かげひろ、天文17年(1548年) - 天正7年2月3日1579年2月28日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏の家臣。北条高広の嫡男。通称は丹後守
== 生涯 ==
天文17年(1548年)、 北条高広の嫡男として誕生。
永禄6年(1563年)、父・高広と共に厩橋城に入り、主君・上杉謙信の関東方面の政治や軍事を助けた。その武勇から鬼弥五郎と称された。天正2年(1574年)、父の隠居により家督を継承する。
天正6年(1578年)に謙信死去によって上杉氏の御家騒動である御館の乱が起きると、上杉景虎を支持して、越後国へ進軍し上杉景勝の軍と各地で戦った。景勝は「北条丹後守(景広)さえ討ち取れば、景虎は如何にもなるべし」と配下を叱咤した。景勝軍の武将・荻田長繁が、天正7年(1579年)2月1日、景広が府中八幡宮参籠した帰りを狙い、数名の兵を連れて待ち伏せした。景広は主馬の槍を受け負傷し、それが致命傷となり死去した。景虎派の中心人物の一人であった景広の死によって、求心力を失った景虎派は離反者が続出し、敗北することになった。
なお、上杉謙信が景広の父・高広にあてた書状によると、景広は畠山義隆の未亡人(三条氏女)を妻にしたとする説がある(北國新聞社『加能女人系 上』)。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北条景広」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.