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北房ぶり市 : ミニ英和和英辞書
北房ぶり市[ほくぼうぶりいち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [ぼう, ふさ]
 【名詞】 1. tuft 
: [し]
  1. (n-suf) city 

北房ぶり市 : ウィキペディア日本語版
北房ぶり市[ほくぼうぶりいち]
北房ぶり市(ほくぼうぶりいち)は、岡山県真庭市北房地区で開催される歳の市である。300年以上の伝統を有し、現在は毎年2月第一日曜日、北房地区の中心にある呰部(あざえ)商店街で開催される。2004年、「ふるさとづくり2004」(全国58新聞社、財団法人地域活性化センター主催)で、第8回ふるさとイベント大賞部門賞(産業・観光部門)を受賞した〔「シンポジウム:「ふるさとづくり2004」」毎日新聞 東京朝刊、2004年5月4日、16頁。〕〔「「北房ぶり市」部門賞受賞 ふるさとイベント大賞 「にぎわい 地域に寄与」」山陽新聞 朝刊15版、2004年4月13日、3頁。〕。
== 来歴 ==
呰部は、近畿と九州、山陰と山陽という東西・南北の交通が交差し、かつて北部吉備の要衝として栄えていた。旧正月前の12月25日(旧暦)〔「買い物客でにぎわう 北房町でぶり市」 朝日新聞 大阪地方版岡山、1994年2月7日。〕には、山間部のごちそうだったブリや正月用品などを売る歳市が立って賑わったとされ、1700年に陣屋の代官が書いたとされる市開催許可状の古文書が残っている〔「[おかやま商店街リポート]呰部商店街 “交通の要衝”今も生かす」 毎日新聞 地方版岡山、2004年6月9日、22頁。〕。
その後、備中松山藩主であった石川総慶が1744年3月、伊勢亀山藩に移封された際、石高を合わせるために北房を中心とした近郷13ケ村1万石が伊勢亀山藩の飛び領地となり、中津井に陣屋を置いた。そして領内繁栄のためにとぶり市を奨励し、繁盛するようになった。山里で魚を食べることが少なかったこともあり、正月だけはぶりを食べようと多くの人が繰り出し、米一俵の価格のぶりが2,3千本売れたといわれる〔(中段以降参照)〕〔「【土曜スペシャル 出かけてみよう】ガイド」 産経新聞 大阪朝刊、2002年2月2日。〕。また、「ぶり市の風にあたると運が良い、風邪をひかない」と言い伝えられ、今も続いている〔。
以後250年近く、ぶり市は開かれてきたが、1988年に呰部商店街が町おこしとしてイベント化し、代官による許可状伝達式を開催するようになった〔。
2000年には、開市300周年の記念行事が行われた〔「北房ぶり市 30日、呰部商店街で開く 開市300周年で記念行事も」 読売新聞 大阪朝刊岡山、2000年1月19日、24頁。〕。
2004年、「ふるさとづくり2004」(全国58新聞社、財団法人地域活性化センター主催)で、第8回ふるさとイベント大賞部門賞(産業・観光部門)を受賞した。全国から応募された164イベントの中で、「一日三万人もの人でにぎわっており、地場産業振興や観光客誘致に寄与している」と評価された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北房ぶり市」の詳細全文を読む




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