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勝連城跡 : ミニ英和和英辞書
勝連城跡[せき, あと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むらじ, れん]
 【名詞】 1. party 2. company 3. group 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
城跡 : [しろあと, じょうせき]
 【名詞】 1. castle site 2. ruins of a castle
: [せき, あと]
 【名詞】 1. (1) trace 2. tracks 3. mark 4. sign 5. (2) remains 6. ruins 7. (3) scar 

勝連城跡 ( リダイレクト:勝連城 ) : ウィキペディア日本語版
勝連城[かつれんぐすく かつれんじょう]

勝連城(かつれんぐすく・かつれんじょう)は、沖縄県うるま市にあったグスク(御城)の城趾である。阿麻和利の城として知られている。
== 概要 ==
城は勝連半島の南の付け根部にある丘陵に位置する。南城(ヘーグシク)、中間の内、北城(ニシグシク)で構成されている。北城は石垣で仕切られた一から三の郭が階段状に連なり、一の郭が最も高く標高約100mの丘陵上にある。
13世紀-14世紀に茂知附按司により築城されたという。この城の最後の城主が阿麻和利である。阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年琉球王府によって滅ぼされた。
城内からは中国、代の陶磁器(染付)が出土しており、『おもろさうし』からも当時の繁栄をみることができる。民俗学者の柳田国男は、勝連が当時の文化の中心であったことは大和(やまと)の鎌倉のごとしと『おもろそうし』にあるように、浦添・首里・那覇を中心とした浦添文化に対して、系統上異なる勝連文化と言うべきものがあったのではないか、と推測した〔柳田国男「筑摩書房、1961(昭和36)年〕。
城壁の石は道路工事の石材などとして持ち去られてきたが、現在は復元工事により往時の姿を取り戻しつつある。
1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の本土復帰にともない即日、日本国の史跡に指定された。2000年(平成12年)11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコ世界遺産(文化遺産)にも登録されている(登録名称は勝連城跡)。登録されたグスク(城)の中では最も築城年代が古いグスクとされている。
2010年(平成22年)、沖縄本島近海地震で城壁の一部が崩落する被害を受けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「勝連城」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Katsuren Castle 」があります。




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