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勝見庸太郎 : ウィキペディア日本語版
勝見庸太郎[かつみ ようたろう]

勝見 庸太郎(かつみ ようたろう、1893年9月11日 - 1962年9月1日〔『CD 人物レファレンス事典 日本編』、日外アソシエーツ、2002年。〕)は、日本の俳優映画監督脚本家映画プロデューサーである。本名は勝見 国一(読み不明)〔『無声映画俳優名鑑』、無声映画鑑賞会編、マツダ映画社監修、アーバン・コネクションズ、2005年、p.138。〕、号の黙笑(もくしょう)〔 は、脚本・原作執筆時に使用した。松竹蒲田撮影所から独立して勝見庸太郎プロダクションを設立、京都の牧野省三マキノ・プロダクションと配給提携した〔。妻は元女優花川環
== 人物・来歴 ==
1893年(明治26年)9月11日〔、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区下谷)〔 に「勝見国一」として生まれた〔。
新派の俳優・藤沢浅二郎の主宰する「東京俳優養成所」で新派劇を学び〔〔『日本俳優名鑑 - 映画俳優の部』、「芝居とキネマ」昭和4年1月号新春付録、1929年、「勝見庸太郎」の項。〕、その後新劇に転向、伊庭孝の主宰する「新劇社」、あるいは「黒猫社」、島村抱月松井須磨子の「芸術座」等を転々として新劇俳優として活動した〔。新劇俳優として、1920年(大正9年)、松竹キネマ松竹蒲田撮影所を開設、その創立に参加した〔〔。同年、田中欽之監督の『鉱山の秘密』に出演して、映画界にデビューした〔。蒲田草創期の「男優三羽烏」の一人と呼ばれた〔。1922年(大正11年)の主演作、島津保次郎監督の『屑七の家』で脚本家としてもデビュー、1925年(大正14年)の主演作、『夜明け前』では監督としてもデビューしている。この頃、同じ松竹蒲田に所属する女優の花川環と結婚する。
1926年(大正15年)、自らの監督主演作『』を最後に蒲田を退社、「勝見庸太郎プロダクション」を設立、京都のマキノ・プロダクションと配給提携を交わし、映画の製作を開始した〔〔。1930年(昭和5年)には解散した。
1938年(昭和13年)には東京発声映画製作所〔、1939年(昭和14年)には東宝映画東京撮影所(のちの東宝スタジオ)、のちに松竹大船撮影所の作品にも出演した。
1962年(昭和37年)9月1日、死去した〔。満68歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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