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勝常寺 : ミニ英和和英辞書
勝常寺[しょうじょうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とわ, じょう]
  1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality
: [てら]
 【名詞】 1. temple 

勝常寺 : ウィキペディア日本語版
勝常寺[しょうじょうじ]

勝常寺(しょうじょうじ)は福島県河沼郡湯川村にある真言宗豊山派寺院。会津中央薬師堂とも称される。山号は瑠璃光山。本尊は薬師如来。寺に安置されている仏像のうち、国宝の木造薬師如来及び両脇侍像をはじめとする12体は平安時代初期の9世紀にさかのぼる造立である。毎年4月28日には薬師如来の祭礼として念仏踊りが催されている。
== 歴史 ==
勝常寺は平安時代初期の弘仁年間(810年 - 824年)に法相宗の学僧・徳一(760?年 - 835?年)によって開かれたといわれている。徳一は中央(畿内)の出身で、藤原仲麻呂の子とも言われるが確証はない。20歳代で関東に下り、会津地方を拠点に宗教活動を行った。日本天台宗の宗祖である最澄と三一権実(さんいちごんじつ)論争と呼ばれる、天台宗と奈良の旧仏教の優劣に関わる論争を行ったことでも知られる。徳一の開創が確実視される寺院としては慧日寺(恵日寺、福島県磐梯町)と筑波山の中禅寺(茨城県つくば市)があり、その他にも多くの寺院を建立したと伝えられる。勝常寺については、徳一の創建を伝える文献等の直接的史料はないが、当寺には本尊薬師三尊像をはじめ、9世紀にさかのぼる仏像が多く残り、これらは徳一が関係した造仏であると考えられている。
創建当時は七堂伽藍とその附属建造物が多数立ち並んでいたと伝えている。木造薬師如来像が本尊とされ、会津五薬師の中心として会津中央薬師と称されるようになる。鎌倉時代後期からは真言宗に属するようになり、近世まで仁和寺の末寺であった。
応永5年(1398年)に火災があり、その後室町時代初期には講堂(現・薬師堂)が再建された。現在残されている建物はその薬師堂以外は近世以降の建物である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「勝常寺」の詳細全文を読む




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