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勝ち抜きそっくりショー : ミニ英和和英辞書
勝ち抜きそっくりショー[かち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

勝ち : [かち]
 【名詞】 1. win 2. victory 
抜き : [ぬき]
  1. (adv) (1) in succession 2. (2) without 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

勝ち抜きそっくりショー ( リダイレクト:そっくりショー ) : ウィキペディア日本語版
そっくりショー[ぬき]

そっくりショー』は、1964年11月3日から1969年3月25日1970年10月16日から1971年9月24日1973年4月から1974年9月28日1977年1月8日から同年9月24日までの4期にわたって日本テレビ系列局で放送された読売テレビ製作の視聴者参加型バラエティ番組である。
1966年10月から同年12月までは『勝ち抜きそっくりショー』(かちぬきそっくりショー)、1968年5月から1969年3月までは『そっくりショー日本一!』(そっくりショーにっぽんいち)、1970年から1971年までは『新そっくりショー』(しんそっくりショー)と題して放送された。また『勝ち抜き』改題前の1964年11月から1966年9月までは、『スターと共に』(スターとともに)という副題が付いていた〔日本テレビ社史「大衆とともに25年・沿革史」461 - 467頁 1978年〕。
== 概要 ==
毎回視聴者から推薦されたある有名人のそっくりさんを5人迎え、その中から1人のチャンピオンを決めていた番組である。また、有名人本人もゲストに迎えていた。ゲストが歌手の場合、そっくりさんたちはその人の持ち歌を歌っていた。歌を出していない有名人がゲストだった場合には、その者のイメージに合った歌を歌ったり、振り付けをしたりしていた。審査方法は審査員がそっくりさんたちのエントリーナンバーを提示していく方式で、最も多くの支持を集めたそっくりさんがチャンピオンとなり、中規模のトロフィーと賞金5万円獲得となる。
番組は、チャンピオンが何人か出揃ったところで「チャンピオン大会」を行っていた。この大会でグランドチャンピオン(審査員の合計得点で決める)達成すると天井から紙吹雪が降り(当初小野栄一時代はくす玉が割れ、紙テープであり、なべおさみ時代は天井から大量の紙吹雪がNHK紅白歌合戦の様に降り続く。井上順司会時代は天井から大量の紙テープも一緒に)、ゴールデントロフィーならびに推薦者とともにヨーロッパ旅行(当初はエールフランスが協賛)と副賞の賞金10万円獲得となる。また、チャンピオンに漏れた中から特に強いインパクトを残した出場者には、「特別賞」(審査員が口頭で発表)として小規模のトロフィーと賞金3万円獲得となる。こちらも何人か出揃ったところで「特別賞大会」を行い、やはりチャンピオン大会同様の流れで、グランドチャンピオンを達成した者にはチャンピオン大会でのグランドチャンピオン達成者と同じ海外旅行・賞金獲得となる。
上記のように賞品が当時としては豪華だったため、それを目指して応募する者も少なくなく、それ故に番組の趣旨を無視した応募者も少なからず存在したという。その最たるエピソードとしては、1968年4月23日放送の「吉永小百合のそっくりさん」(「青春歌謡特集」)の回で当時は今のように厳正なオーディションはなく、写真応募のみだったこともあり、番組史上最高の1万人に達した。当然応募した全員吉永そっくりというわけではなく、同封されていた写真には女装した男性の写真や、スタッフが思わず「一瞬、足の裏の写真かと思った」という吉永に似ても似つかないとんでもない写真もあったという〔今日は何の日?「そっくりさんだらけの番組」 〕。
スポンサーは第一期、当初は大阪に本社がある即席麺メーカーのエースコックの単独提供で、タイトルが「エースコックそっくりショー」(冠スポンサー番組)だったが、1967年10月以降は小野薬品単独に変更、第二期は再びエースコックが単独提供となり、第三期は加美乃素本舗ナショナル魔法瓶工業(「エベレスト」名義)の二社、そして第四期は加美乃素を筆頭とした複数スポンサーである。読売テレビ製作の影響か、関西企業のスポンサーが多かった〔「大衆とともに25年・沿革史」473 - 511頁〕。
番組の最高視聴率は、1966年2月8日放送分の43.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)〔引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、3頁、223頁。ISBN 4062122227〕。
『新そっくりショー』時代には、毎回10人のそっくりさんを迎え、まずそのままの衣装で予選を行い、5人が通過。本戦では本物と同じ衣装やメイクをし、第1期と同じ形式で行っていた。
第4期時代の1977年9月3日、プロ野球選手王貞治巨人)が通算本塁打世界新記録となる756号を記録したが、これが当番組放送中の19:10だった。日本テレビ系列では19:30よりプロ野球ナイター中継枠でこの記録がかかった試合(巨人VSヤクルト戦 - 後楽園球場)を中継する予定だったが、20分早い記録達成のため、同中継を制作する日本テレビなどに巨人ファンや視聴者からの苦情が殺到した〔『テレビ50年 in TVガイド』『テレビ60年 in TVガイド』(東京ニュース通信社)1977年のページより〕。
1977年9月に完全に幕を閉じた。最終回はキャンディーズの特集だった(サブタイトルは「最終回だよ!キャンディーズ特集」)。メンバー1人ずつのチャンピオンを決めるルールだった。
なべおさみ時代のテーマソングは、童謡どんぐりころころ」の替え歌を使用し、井上順時代は井上自身がオリジナルテーマ曲(作詞:喜多内十三造、作曲:津野陽二)を歌っていた。なお井上時代のテーマソングは、CBSソニー「オリジナル版 懐かしのTV番組テーマ大全集」に、オープニング口上「(井上)アッという間の1週間、やって来ました『そっくりショー』!今週は第1回!!(観客)チャンピオン大会!!」と共に、実際に放送された収録会場での生での音源で収録されている〔なお、「読売テレビ50年社史」付属のDVDには、『そっくりショー日本一!』の小野時代に放送された「チャンピオン大会」のロケ風景が収録されている。〕。新聞のテレビ欄やテレビ雑誌のサブタイトルには「○○(ゲスト名)の巻」と出る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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