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劇団そとばこまち(げきだんそとばこまち)は、日本の小劇場劇団。1978年5月旗揚げ。 ==沿革== 1976年に京都大学演劇研究会を母体にして誕生した学内サークル「卒塔婆小町〔もとは能の作品名、卒都婆小町参照。〕」が発祥である。 1978年5月に創設メンバーが全員脱退し、辰巳琢郎・川下大洋ら当時の大学1回、2回生のメンバーで新たに「劇団卒塔婆小町」として立ち上げた。1979年6月に現在の名称となる〔辰巳琢郎ホームページ 年表 〕。 つみつくろう(辰巳琢郎)座長時代に京都大学を出て、京都市の烏丸御池のビルに劇団アトリエ兼劇場を構えた。 つづいて、京都市の烏丸松原の永楽屋ビルに劇団アトリエ兼劇場を構え上海太郎座長の元でシェイクスピア劇、翻訳作品の他「風のウィザード」「中華風倭人伝」「五線譜のうえの国」「アイスドールを追え!」「忠臣蔵」(現フジテレビ・小松純也作。後の「冬の絵空」の基となった作品)「メモリアルトライアングル」などオリジナル作品まで多ジャンルにわたる公演を、1〜2ヶ月に1回のペースで打つ。座付作家が複数おり、上海太郎のダンスやパントマイムを取り入れた笑いのある演出や、座付作曲家の佐藤心によるオリジナル曲、三大寺サンセット(三大寺志保美)の衣装で独特の世界を構築した。 京都時代はよみうりテレビの深夜のコント番組「週刊TV広辞苑」に、上海太郎、槍魔栗三助(生瀬勝久)、はりけーんばんび(川下大洋)、みやなおこ、ブロッコリ哲らが出演。また、ラジオ大阪「おっと!モモンガ」では上海太郎、佐藤心、山崎和佳奈、橋野リコ、はりけーんばんびらが出演。ラジオドラマ「明日にむかってすべれ」や「ダンシングなんでも相談」などがあった。 1988年、「五線譜のうえの国」を最後に上海太郎・はりけーんばんび・ブロッコリ哲らが退団。残留劇団員が「新劇団そとばこまち」を結成し、4代目座長生瀬勝久のもと、山西惇・小松純也・みやなおこ・八十田勇一らが中心メンバーとして、再スタートを切る。その後、大阪の十三にアトリエを移す。生瀬のテレビ出演が増え、東京公演も行うようになった。当時の代表作は「冬の絵空」「おまえを殺しちゃうかもしれない」「Zizzy」「Torch」「森へ行きましょう」など。2001年、上記メンバーが脱退。 劇団としての連続性はあるものの、座長が変わるごとに主要な劇団員、作風ががらりと変わる。 京都時代に、橋野リコ(高橋典子)がプロダクション「リコモーション」(CUBE Group)を設立した。所属する元劇団員のテレビや映画、舞台での活動を目にすることができる。 京都時代に所属していた中には現在放送界で活躍している者が多い。NHK「プロジェクトX」「プロフェッショナル」を立ち上げた有吉伸人、CX「ごっつええ感じ」「笑う犬の生活」を演出した小松純也、「TRICK」の脚本家・蒔田光治、「あまちゃん」を制作した訓覇圭は、いずれも京都大学の学生時代に劇団の中核メンバーだった。 近年の作品は「鈴木家の謀略」「教師の資格」「あおの要因」「おりょう」「4よん」「ちゃいるどぷれい」「のぶなが」「W-にー」など。 座長の坂田大地が作、演出の「おりょう」「のぶなが」はどちらも観客動員1000を超えた。 他にも「通天閣ブルース」「A:Part:Men:T」「そとばkitchenのバレンタイン大作戦!」「STBアワー!!」等のプロデュース公演がある。 劇団員の田中尚樹が主宰のプロデュースユニット「マシンガンフィッシュ」による「レコードと機関銃」も上演。 またカフェイベントや司法修習生や消費者フォーラム等の啓発劇も行っている。さらに天神橋筋商店街にカフェ「そとばkitchen」を開き、その後は十三に移転。 川下大洋との共同プロデュースとしては、プロデュース公演「アニマルズ」「十二夜!?...もう、どうにでもして。」を上演。また、劇団の女優たちによるアイドルグループSTB138(エスティービーじゅうそうエイト)、劇団アトリエでの演劇ワークショップ「SPS・そとばこまちプレイスクール」がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劇団そとばこまち」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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