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兼平信孝 : ミニ英和和英辞書
兼平信孝[かねひら のぶたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
平信 : [へいしん]
 (n) peaceful news
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 

兼平信孝 : ウィキペディア日本語版
兼平信孝[かねひら のぶたか]

兼平 信孝(かねひら のぶたか)は、江戸時代前期の陸奥弘前藩の武士。

== 生涯 ==
慶長14年(1609年)、弘前城の築城や城下町の造成に関わった。
元和5年(1619年)、国替え騒動の際にも服部康成と共に功績があった。この際、隠居していた祖父の綱則が城に押しかけ、国替えに断固反対をしたと伝わる。
寛永2年(1625年)、父の死で家督1,200石を継ぎ、津軽姓を許された。後500石を加増され、家老となった。
寛永8年(1631年)、船橋長真らと軋轢が生じ、同10年(1633年)家老を免職された。翌11年(1634年)には津軽氏の重臣の多くを巻き込んだ大騒動(船橋騒動)に発展した。幕府の裁定の元、寛永13年(1636年)、乳井建定と共に長府毛利秀元お預けとなった。
のち、綱則の末子源八が後を継ぎ、兼平氏は再興された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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