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八角墳 : ミニ英和和英辞書
八角墳[はっかくふん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やつ]
 (num) eight
: [つの]
 【名詞】 1. horn 

八角墳 : ウィキペディア日本語版
八角墳[はっかくふん]

八角墳(はっかくふん)は古墳時代の終末期(7世紀中葉〜)につくられた正八角形古墳京都市御廟野古墳(現・天智天皇陵)や奈良県高市郡明日香村野口王墓古墳(現・天武持統合葬陵)などが有名。
== 八角墳の意味 ==
八角墳の意味については、道教をふくめた広い意味での古代中国の政治思想において、八角形が天下八方の支配者にふさわしいという思想の影響が考えられる。
八角墳森浩一の提唱によると最終末古墳に含まれる。即位した大王が祭られている可能性を指摘する学者もあるが、奈良県だけではなく東京都多摩市稲荷塚古墳をはじめ東日本など各地で少数ではあるが確認されていることから、即位した大王だけを祭るために造られている可能性に疑いを持つ学者も多い〔宮内庁書陵部など(朝日新聞 2010年9月10日)〕。
八角墳は7世紀の中葉になると、大王墓のみが営むようになる。現在知られているかぎりでは、奈良県桜井市段ノ塚古墳(現舒明天皇陵)、奈良県高市郡明日香村野口王墓(現天武・持統陵)、一般に文武天皇陵と考えられている奈良県明日香村中尾山古墳1974年昭和49年)事前調査で八角墳であることが分かった。この古墳は1697年元禄10年)の奈良奉行与力の見聞録に「塚形丸く根回り三十五間あり、頂上東の方へ掘り崩した跡のように窪みがあり、その中に四尺に三尺の石がある」と記録されている。〕〔河上(2005) 64ページ。〕、それに御廟野古墳などが八角形平面の墳丘を持っている。7世紀半ば、日本では初めて大王に固有の型式の陵墓が出現したといえる。これらのほかに、奈良県高市郡高取町束明神古墳草壁皇子の真弓山稜か)、方形墳の上に八角形の墳丘を造っている可能性のある明日香村の岩屋山古墳斉明天皇陵か)などが八角形墳の可能性を指摘されている。〔『知識ゼロからの古墳入門』74-75頁 広瀬 和雄 (監修) 〕
八角墳は、舒明天皇の墓から始まっていると考えられ、日本の大王の墓に固有の型式の陵墓が考え出されたと捉えることができる。これは、大王を他の有力豪族からも隔絶した支配者とみなし、中央集権国家の樹立を目指すものであったと考えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「八角墳」の詳細全文を読む




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