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八代俊二 : ミニ英和和英辞書
八代俊二[やつしろ しゅんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やつ]
 (num) eight
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius
: [に]
  1. (num) two 

八代俊二 : ウィキペディア日本語版
八代俊二[やつしろ しゅんじ]

八代俊二(やつしろ しゅんじ、1960年8月26日 - )は、鹿児島県鹿屋市生まれの元WGPライダー。現在、モーターサイクル ジャーナリスト、テレビでのレース中継解説者として活躍。愛称「突っ込みハッチ」「居酒屋ハッチ」(彼の解説がしばしば居酒屋中継になるから)など。腕を直角に曲げてタンク上でホールディングする程に前傾した独特のコーナリングスタイルが特徴。
== 経歴 ==

*1980年 - 名古屋株式会社サンゲツ入社
*1980年 - 株式会社サンゲツ 目指すこと有りと同年退社
*1981年 - ロードレース参戦開始
*1984年 - 全日本ロードレース選手権TT-F1クラス初代チャンピオン(モリワキレーシング) - 国際A級に昇格した1年目にして、この年から全日本格式のカテゴリーとなったTT-F1クラスの初代チャンピオン獲得。
*1985年 - 全日本ロードレース選手権TT-F1クラス、ランキング3位(モリワキレーシング)
*1986年 - 全日本ロードレース選手権500ccクラス、ランキング2位。 - ロードレース最高峰の500ccクラスに転向(マシンはホンダNSR500、エントリーはモリワキから)し、スポーツランドSUGOにて500ccクラス初優勝。この年、ホンダ世界GPチームのエース、フレディ・スペンサーが怪我・欠場続きだった為、スペンサーの代役としてシーズン途中から世界選手権(WGP)の500ccクラスに急遽参戦、ランキング13位。
*1987年 - ロードレース世界選手権500ccクラス、ランキング9位。 - ホンダワークス・チームであるロスマンズ・ホンダ(HRC)から初の世界GPフルエントリー。同年の世界チャンピオンになったワイン・ガードナーを補佐する役割を担う。序盤数戦は今まで通りの、コーナー入口でブレーキングを目いっぱい遅らせて突っ込んでいく全日本時代からの「突っ込みハッチ」の異名通りの走りを見せるが、ドイツGP(ホッケンハイムリンク)で表彰台獲得も狙える好位置で走行中、最終コーナーで頭を強く打つ転倒を喫する。このあたりを契機に走行スタイルを徐々に変えて行く事を試みる。終盤戦アルゼンチンGP第4位で入賞を果たす。
*1988年 - ロードレース世界選手権500ccクラス、ランキング13位。 - 引き続きロスマンズ・ホンダからガードナーのチームメイトとして参戦。この年用に開発されたNSR500は序盤、フレームへのエンジン搭載位置が前過ぎる設計であった事を主な原因として、コンスタントに速く走る事が難しいマシンとなっていて、前年チャンピオンであるガードナーを以てしても勝てず苦戦。ガードナーは中盤戦イタリアGPあたりまでの間、セッティングで解決できる問題だと思っていたが、八代は開幕戦の鈴鹿の時点で既に「このマシンは基本がおかしい」と訴えていた。しかしその時点でチーム首脳はこの意見を聞き入れず、ガードナーからは「もっと高い次元で走ってくれればそんな問題は起らないよ」という厳しい意見を言われてしまうが、後に八代の訴えていた指摘は正しかった事が明らかになり(すでに3ヶ月程経ち手遅れの感が強かったが)、これ以降ガードナーは八代のマシン開発の能力を高く評価していたと言われる。
*1989年 - 全日本ロードレース選手権500ccクラス参戦 - 主戦場を日本に戻し、ホンダNSR500を開発する事を目的とした全日本へのエントリーとなる。チームは新たにペンタックス・ホンダというHRC直系のチームが組織された。あくまで開発がメインであり、勝つ事のみを考えてレースをするという訳にはいかなくなったが奮闘、最終戦・筑波ではウイリー・ゴールを決めようとした所、ウイリーの角度が大きくなり過ぎてしまいひっくり返るのでは?と思わせるハプニングで観客をどよめかせながら優勝を飾る。(87年のMFJグランプリでも同様のヒヤッとするウイリーを見せている。)
1994年 - 鈴鹿8時間耐久レースにスポット参戦、プライベートチーム最上位の第6位入賞。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「八代俊二」の詳細全文を読む




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