翻訳と辞書
Words near each other
・ 児ノ口社
・ 児ノ口神社
・ 児ポ
・ 児ポ法
・ 児井プロ
・ 児井プロダクション
・ 児井英生
・ 児井英男
・ 児偽(性)白血病性貧血
・ 児化
児単于
・ 児啼婆
・ 児啼爺
・ 児型骨盤
・ 児女
・ 児女英雄伝
・ 児孫
・ 児寛
・ 児屋根塚古墳
・ 児山佳宏


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

児単于 : ミニ英和和英辞書
児単于[じぜんう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じ]
  1. (n-suf) child 
: [ひとえ, たん]
 【名詞】 1. one layer 2. single 

児単于 : ウィキペディア日本語版
児単于[じぜんう]
児単于(じぜんう、拼音:Érchányú ? - 紀元前102年)は、中国前漢時代の匈奴単于烏維単于の子。姓は攣鞮氏、名は烏師廬といい、年が若かったので児単于と呼ばれた。『漢書』では詹師廬と表記。
== 生涯 ==
烏維単于の子として生まれる。
元封6年(前105年)、烏維単于が死ぬと、烏師廬が単于となった(以後児単于)。児単于は西北に移動し、左方(東方)は雲中郡、右方(西方)は酒泉郡敦煌郡と境を接することとなる。
児単于が即位すると漢の朝廷は匈奴を分裂させるため、2人の使者を単于と右賢王に送った。しかし匈奴領内に入ると2人とも単于の所へ連れて行かれ、児単于は怒って2人の使者を留置した。その後も漢は使者を2人よこしたので、その都度留置し、留置された使者は合わせて十組余りにもなった。匈奴が漢の使者を留置するので、漢のほうでも匈奴の使者を留置するようになった。冬、匈奴では大雪が降り、飢えと寒さで死ぬ家畜が多かった。児単于は年が若く、戦争や虐殺を好んだので、国民の多くは落ち着かなかった。そこで、左大都尉は単于を殺したいと考え、漢と密通して謀を企てた。
太初2年(前103年)春、漢は野侯の趙破奴に2万騎を率いさせ、朔方から進軍した。しかし、趙破奴は浚稽山まで行くと引き返した。左大都尉は行動を起こそうとしたが発覚し、単于に処刑された。児単于は左方の兵をくり出して趙破奴を攻撃し捕らえ、その軍をすべて降伏させた。
太初3年(前102年)、児単于は受降城を攻撃する途中で病死した。彼の子はまだ幼かったので、烏維単于の弟の右賢王が単于に選ばれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「児単于」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.